春をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

春風に此処はいやだとおもって居る 澄子

「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」(句集 空の庭)の句を、眼にしてより澄子の平易な表現で、しかも意外性のある作風の虜になった。掲句も、およそ「いやだ」という風な、感情語を入れる事は、俳句の禁じ手。でも、それを逆手に取って、ユーモアという風体に仕立てられている。春風が、この場所は我輩には、相応しくない処だと、威張っているようにも詠める。本当は、作者自身が春風が嫌がっているだろうと、その場所(例えば、ごみごみした処)を危惧しているのだろう。「おもって居る」という古風でオーバーな言い回しが、読み手にくすっとした、笑いを誘う。この句は句集「いつしか人に生まれて」より引いた、池田澄子の句。

立春の箱から耳を取り出して 喜郎

坪内稔典氏の「船団」の集いで、たびたび会ったことのある喜郎が、句集「急がねば」(ふらんす堂)を上梓した。喜郎は陶芸もやっていて、自身のホームページ「in thebox」に作品を載せたりもしている。それにしても掲句の不思議さはなんであろう?箱の中から耳を取り出す。取りようによっては、猟奇的な雰囲気を漂わせる。しかし、立春という季語のフイルターを通して見れば、たちまち場面は、楽しく明るい雰囲気醸しだす。その耳は、春の音を聞くために、大切に仕舞っておいた感覚の耳であったのだ。この句集の中には、「蛙の夜ゼンマイ仕掛けの兄放つ」「順番にバケツを吊す電波の日」など、不思議な句がある。

そうねといいくつしたをぬぐ春の星 砂代里

友人の砂代里がユニークな句集と歌集と散文集を合体させたものを、刊行した。
それぞれは、別冊になっていて、句集は「そうねという」、歌集は「仕方のない人」散文集は「普通の日」のタイトルが付いている(風来舎刊)。掲句に見られるように、砂代里の作風は、おおよそ従来の俳句の観念を、突き破っている。「そうねといい」の導入部にまず意表をつかれる。その驚きは、誰にそう言っているのであろうかと、想像を掻き立てられる。後に続く、靴下を脱ぐという状況から、きっと親しい間柄の人であろう。また少し、エロチックな場面ともとれる。春の星の措辞で、更に混乱を起こさせる仕立てになっている。この句は、山口砂代里の三部合体句集より引いた。

 

赤ん坊をテーマにした俳句(厳選三句)

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赤ん坊に太陽が来る髭が来る 三樹雄

この間、大江健三郎の『二百年の子供』(中央公論社)、という本を読んだ。「いま」という事をテーマに健三郎、初めての珍しいファンタジー。帯文の中で、「私たちは(子供から老人まで)いまという時を生きています。私たちが経験できるのは、それでいて、過去の深さと未来からの光にひきつけられます。人間だけが、そのようないまを生きるのです。そして、そのことを意識しないでも、誰より敏感に知っているのは子供です。(後略)」と書いている。掲句も、赤ん坊の輝かしい未来を、太陽を生命を育むものの象徴として、また髭を父親の象徴として、重ね合わせている。健三郎の言う「いま」を描き出している。この句は句集「舎木」より引いた、斉藤三樹雄の句。

子の冬や吸切啜の喉波打てる 雅子

最近はミルクなどの人工栄養児が多いが、母乳で育てることが見直されている。母乳は、言うまでもなく消化、吸収がよく、栄養にも優れている。何より、母乳に含まれる免疫体が、生後6ヶ月ごろまで、ある種の伝染病の予防に役立つことが知られている。初乳(出産後4~5日)の母乳は、たんぱく質、脂肪、無機質に富む、高カロリー。掲句は、赤ん坊が母乳を吸う様子を、その喉に着目して、クローズアップさせ描いている。その喉の波立ちは、生命の輝きといえる。この句は、「現代俳句100人20句」から引いた、山西雅子の句。

小春日の鐘撞堂から赤ん坊 明美

明美の第一句集「月への道」(富士見書房)が、昨年の十二月二十日に刊行された。帯文に、「明美の俳句は読者の心身をきれいにする」(坪内稔典)と書かれているように、明美の俳句には、旨く作ろうと言う技巧が見られない。日常の風景を肩に力を入れず、平易な言葉で言い止めている。掲句も、鐘撞堂から赤ん坊が出て来た事を、なんの修飾もなく、書いている。だが、読者に不思議な情景を、思い描かせる。たとえば、鐘の音から赤ん坊が生み出されてような、幻想とも思える。他に、「桐の花サドルを一寸高くして」「夏木立馬は羽音に耳をよせ」「青空へ押し出されてる籐の椅子」なども、巧まない良さが発揮された句が、多数収められている。この句は、船団会員、中林明美の句。

 

梅をテーマにした俳句・その2(厳選三句)

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梅にほうほうと男 あらあらと女 三樹彦

物を見て思わず発する、感動の言葉(感動詞)にも、男と女の区別があるようだ。小説の男女の会話に中に、巧みに取り込まれていて、それぞれの場面を盛り上げる要素になっている。いまは、言葉の乱れがあり男ことば、女ことばの境目が曖昧になってきているが、小説の中では未だ顕著に書き分けられている。明治文学では、尾崎紅葉の『金色夜叉』の貫一とお宮の会話などは、高圧的な貫一の問いかけに、お宮は「私いやよ」「おかしい。いやだわ」なんて調子で、「いや」という言葉を連発するほど、男女の言葉の違いが最も濃い。掲句は、梅の咲くのを見て、男の「ほうほう」と、女は「あらあら」の感動の言葉を対比して、男女の機微を巧みに捉えている。この句は、俳句研究年鑑2004年度版より引いた、伊丹三樹彦の句。

おとといの午前十時がこの白梅 稔典

わが国の文献では、『懐風藻(かいふうそう』(751)のなかに、梅をうたった葛野王の五言詩が見えるのが最初である。葛野王は奈良前期の人であるから、それ以前、おそらく飛鳥時代までに中国から伝わっていたと思われる。(日本百科大事典)万葉時代の天平二年正月十三日に、大宰師大伴旅人の宅で、梅見の宴が催され梅花の歌を詠んだと「万葉集」あ(巻五)にある。当時は、梅はいずれも白梅であったようだ。紅梅は、『続日本後記』(869)より、文献にみられる。紅梅より白梅の方が、より凛として清々しくて好きだ。掲句に見られる白梅は、その色や香りを「おとといの午前十時」だと、比喩的に断定した。読み手に、白梅をそれぞれの想像まかせている。。この句は、句集「月光の音」(毎日俳句叢書)から引いた、坪内稔典の句。

かちかちと市電制御器 梅咲かせ 清紫

小学校の三年生の時、疎開先の徳島県から大阪に帰って来た。その家が、市電の本田一丁目(西区)の停留場の真ん前だった。四国から出てきたばかりだったので、市電を見たことがなかったので、一日中飽きもせず眺めていたのを覚えている。当時の市電の前には、スカートのような衝突防止の網が付いていたり、架線から電気を取るもの、今のようにパンダグラフではなく、棒状の先にローラーがあるポールだった。市電に乗った際は、運転席に釘付けになっていた。運転手が制御器のハンドルを回すと、カチカチと心地よい音がした。作者も、市電世代であろう。掲句は、かちかちと言う、オノマトペを梅と取り合わせて、心地よい俳句に仕立てられている。この句は句集「出雲崎」より引いた路清紫の句。

 

家をテーマにした俳句(厳選三句)

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石の家にぼろんとごつんと冬が来て 窓秋

この句を見て、「北の国から」の主人公の黒板五郎(田中国衛)が、丸木の家に続いて建てた石の家を思い出した。いまは、「北の国から」のロケ地の観光コースがあり、石の家が見られるという。一度行って見たい気もするが、自分のイメージのまま残していた方が、いいのかもしれない。ともあれ、掲句も厳しい自然環境の中に立っている風景が思い浮かぶ。中七の「ぼろんとごつんと」のオノマトペは、石の質量の表現ともとれるが、人間が立ち向かう冬の厳しさを、指し示しているようだ。窓秋は、戦争で満州に出兵していたので、大陸での思い出なのであろうか。この句は、句集「石の門」(酩酊社)から引いた、高屋窓秋の句。

よく眠ることが身上 落葉の家 千佳子

千佳子は明治44年生まれの92歳。明治と言えば、明治のはじめ日本へ来て、東大で言語学・国語学を講義した、イギリスの学者、チェンバレンの著した『日本事物誌』がある。そこで、日本語には火事に対する語彙が豊富であることを指摘している。なるほど「ぼや」「丸焼け」「飛び火」「貰い火」から「火事場」「火事ドロ」「火事見舞」など数多い(ことばの歳時記より抜粋 金田一春彦著)。当時の欧米人には、日本の家屋は木と紙で出来ていると信じられていたようだ。この句も俳句を知らない人が、詠んだら落葉で、家が作られていると思われるかもしれない。しかし、そういう風にとって、落葉の中で虫になって、すやすや眠っている風景も詩的でいい。この句は、青玄12月号(584号)から引いた、西尾千佳子の句。

親を看る最後の家人シクラメン 明

俳句研究12月号で、俳人大アンケートを掲載し、264名の俳人がこれに答えている。この句は、そのアンケートでの鈴木明(野の会、青玄)の自選一句である。その中で明は、「句選で感じること。高齢化からか老病死に関わる切実な句が多い。真情の吐露も俳句だが、形式を用いた自己救済の試みをいま少しプラス思考に向けられないかと、同じ晩年を迎え、互いに戒老の腕の見せ処と思う」と答えている。掲句の自作も明の考えに添って当然、病気の親の枕元にまるで灯火のように点って、見守っているシクラメンを擬人化した詩的な描写という解釈が正解であろう。

 

耳をテーマにした俳句(厳選三句)

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耳がいたくて寒くて 裏切みたいな日暮 公子

伊丹公子の自筆百句選が刊行された(沖積舎)。公子の俳句は、詩に近い。詩集『通過儀礼』」の 「(声) 雨が降り籠めて/その声/どの家から湧いたのかよくわからない/家たちは/歳月のように並んで/雨季の盛りだった/屋根が強調された/日本家屋では/雨の確かさが/いっそう/家族を黙らせる/(中略)言葉にならない/音量が/雨雲の町で/あやめのように/咲いて」 の一編で見られるフレーズを抜書きすれば、俳句に様変わりする。掲句の「耳がいたくて寒くて」の導入部と「裏切りみたいな日暮」の言葉の繋ぎは、詩と俳句の鬩ぎ合い感じる。この句は、句集「メキシコ貝」に掲載さtれている。

耳たぶに石けんの泡神無月 恵美子

神無月の言葉は既に、古今集の中に、「時しもあれ冬は葉守の神無月まばらになりぬ森の柏木(法眼慶算)」などにみられる。その語源は、縁結びの神様とされる出雲に、毎年十月に諸国の神々が出雲に集って、縁結びの会議を行うので、神が居ない月即ち陰暦10月は神無し月だという。したがって、出雲だけ神在り月になる。掲句は、そんな神話に裏打ちされた風習と、「耳たぶに石けん」と現代的で俗な言い回しを、取り合わせたことで、神無月の季語が生き生きとしている。ちょっとユーモラスで、少女のイタズラっぽい可愛らしさを想起させる。この句は、しれないと思わせる夢がある。この句は、句集「ポケット」(蝸牛社)から引いた小枝恵美子の句。

ゴッホの耳の包帯ほどく 飛行雲 和子

ゴッホは、いつも女性の愛に恵まれず弟のテオの援助を受けて、困窮の中でも画業続けた。1886年パリに出てから、印象派と浮世絵の影響を受けて、明るい色調の画風に変わった。二年後、ゴーガンと共同生活を送っていたが、それが破綻して耳をそぎ落とした事件は、余りにも有名である。そして、1889年に「パイプをくわえた自画像」として、その姿を描いている。和子は、耳に包帯を巻いたその自画像の陰鬱な雰囲気を、明るく詩的に転化した。飛行雲を包帯とした見立ては、詩人の目であり、ゴッホに対する優しい愛情が見て取れる。この句は、「青玄合同句集」11から引いた、諏佐和子の句。