妻をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 夢道

この句は、句集「無礼なる妻」に収録されている、橋本夢道の作。夢道は、徹底した社会批判俳句で、治安維持法で投獄されたこともある。その作風は、庶民生活を人間臭く描き出し、季節(季語)や音律の制約を取り払って、社会の矛盾や不合理を詠んだ。「良妻にヤミ米騰るに農相『善処します』」、「毀れ易い幸福に冬海の朝日がきらきらさす」などの、弾圧の時代を意識して、むしろ茶化している。掲句に出てくる妻は、貧乏でろくな物が食えない毎日の生活の苛立たしさを、「馬鹿げたもの」と転化して、無礼なる妻という大仰な言い回しは、妻に向けられたものではなく、社会に投げかけられたものであろう。

絨毯は空を飛ばねど妻を乗す 道夫

この句に登場する妻は、夫に愛される幸せな姿を示す。空飛ぶ絨毯、即ちアラジンの魔法の絨毯のパロデイ化。妻の座る絨毯はふかふかで、如何にも暖かく描かれている。それは、妻に対して注がれる、道夫の視線の優しさである。言い換えれば家庭における妻の存在感を指し示している。また、「妻を乗す」の表現に意外性があり、もしかして念じれば、飛ぶかもしれないと思わせる夢がある。この句は、句集「顱頂」から引いた中原道夫の句。

山茶花に近寄っていく 妻の息 和實

山茶花の漢名は「茶梅」で日本原産。江戸時代にオランダ人が、ヨーロッパに持ち帰ったのが、西欧に広まったらしい。だから、学名も英名もサザンカ(Sasanqua)という。俳句では、俳諧の時代に詠題として、登場している。「山茶花を旅人に見する伏見かな」西鶴(蓮の実)「さざん花に囮鳴く日のゆふべかな」言水(京日記)などが見られる。さて、掲句だが、咲き初めた山茶花の楚々とした姿に惹かれて、近づいて行く妻をフォーカスしている。「妻の息」の捉え方は、充分に妻への心配りが見える。この句は「青玄」576号から引いた、木寺和實の句。

 

枯をテーマにした俳句・その2(厳選三句)

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枯野はも縁の下までつゞきおり 万太郎

万太郎は、小説家としてだけではなく、俳句は余技であると言いながら、こよなく愛していた。『万太郎句集』の後記の中で「わたくしは俳句を、小説を書き、演出に関する仕事をするひまひまを縫ってつくります。従ってわたくしの俳句はわがままであります。必ずしも俳句の規格にしたがひません。しかしわたくしをはなれて・・・わたくしの生活識域をはなれてわたくしの俳句は存在しないのであります」と書いている。掲句には「病む」と前書きが付いている。この頃、万太郎は既に妻を無くしていた。病床から見る枯野は、縁の下即ち自分の寝ている布団のしたまで、一人暮らしの淋しさのように忍び寄って来る。「はも」という詠嘆語が、強くその心情を表している。この句は、句集「草の丈」から引いた、久保田万太郎の句。

路地住みの終生木枯きくもよし 真砂女

真砂女は、「春燈」で久保田万太郎に師事した。また、銀座一丁目の路地の奥で、小さな「卯波」という小料理屋を、営んでいたことで知られている。店でも終日、着物を着て立ち働いていた、この句から気概が伝わってくる。「終生」という一見言えそうで言えない言葉を、句に載せたことは、その地(店)を愛し、店を訪れる人を愛していたのであろうことが窺い知ることが出来る。真砂女は、「終生」を実践した。その生き様をモデルにして、丹羽文雄が、「帰らざる故郷」という小説にしている。この句は、句集「夕蛍」より引いた、鈴木真砂女の句。

冬枯れのメタセコイアのこの微熱 節子

メタセコイアは1941年、中国の四川省で発見され、生きている化石だと騒がれた。アメリカの学者により種子から苗が育てられ、日本でも栽培されるようになった。その成長は早く、材質も柔らかい。そして、なにより葉が対生して細かく、若葉の頃は手で触れると心地よい。また紅葉の頃の枯れ色は、独特の風合いで美しく好きな樹木だ。メタセコイアは、冬枯れになれば小枝ごと落ちる。節子はその様を、微熱だと感覚的に捉えた。「この微熱」の「この」という表現は臨場感たっぷりだ。この句は、「船団」57号から引いた、鶴濱節子の句。

 

果物をテーマにした俳句(厳選三句)

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梨むくや甘き雫の刃を垂るゝ 子規

子規は、無類の果物好きだった。友人の夏目漱石は、小説「三四郎」の中で列車で隣り合わせた髭のある男とのくだりで「次に男がこんなことを言いだした。子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがあった。それでもなんともなかった。」などと、書いている。実際、子規は自分でも果物が無ければ、筆が進まないとも書いている。さて、掲句だが明治二十七年の作品となっている。従って、まだ病床に伏せていない時なので、自ら梨を剥いたのであろうか。その刃先から零れ落ちる果汁は、いかにも梨の瑞々しさを表現していて美味しそう。この句は、「子規句集」から引いた、正岡子規の句。

挑戦とは生きていること 林檎かじり 満枝

先日、満枝から句集「あやとり橋」を送って頂いた。「かけがえのない今がある もつれ蝶」など、病床のご主人を支えながら、作句に励む心象俳句が多く収められている。掲句で扱われる林檎は、島崎藤村の「初恋」で詠まれた「やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり」のような、甘い恋情感ではない。林檎を挑戦という生きる日々の決意と描いている。林檎のあの独特の色合いの赤は、挑戦の色だと言えるかも知れない。この句は森本満枝の句集より引いた句。

マジックミラーの捉えた街灯 ラ・フランス ゆきこ

洋梨の王様と言われるラ・フランスは、フランスが原産で1864年に発見され、明治初年に日本に導入されたのですが、食べ頃が難しく、栽培も難しいので最近まで、普及しなかったそうだ(今は、山梨県で多く作られている)。ゆきこの詠んだ掲句は、街灯の形を単純にラ・フランスと模して、表現したのではなかろう。そこに、マジックミラーの不思議さを句の中に介在させいる。マジックミラーは向こう側とこちらの世界は異なっている。それは、こころの中の表裏と置き換えてもいい。向こう側には絵葉書のように街灯が並ぶパリの風景が広がっている。俳句に二重写しの手法を巧く持ち込んだ。この句は、句集「手品師の鞄」から引いた、荒木ゆきこの句。

 

目をテーマにした俳句(厳選三句)

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凪わたる地はうす眼して冬に入る 蛇笏

10月16日に、声を出して味わう「日本の名俳句100選」(中経出版)が発刊された。この本の珍しいのは、副題に「声を出して味わう」とあるとおり、檀ふみの俳句朗読のCDロムがついている。更に、俳句にそれに見合った伊丹三樹彦の写真も付いてる。監修は金子兜太が行っているという親切ぶりだ。この句は、そこから引いた飯田蛇笏の句。蛇笏は、五人の子息のうち三人の逆縁に逢うが、その試練に耐えて、孤独な魂そのものを俳句に定着させた。この句も、波風が立たない海を背景に、何故かうす目をする大地。その対比は、自然界をモチーフにして、哲学的な要素を内包しているように思える。厳しい冬に対する姿勢そのものの句だ。

女の目栗をむくとき慈顔かな 欣一

木の実の季題は、俳諧で『花火草』、『毛吹草』などで、使われていて、「こもり居て木の実草の実ひろはヾや」(芭蕉)の例句がみられる。近代になって、俳人の好みの季題となた。そして、木の実は「よろこべばしきりに落つる木の実かな」(風生)、「老の掌をひらけばありし木の実かな」(夜半)などに見られるように明るい雰囲気のものや郷愁のある句が多い。欣一の句は、どちらかと言えば、前者の方である。栗を剥く時、男女に関わらずどこか嬉しい気分になり顔がほころぶものであるが、慈顔と表現されると、まるで菩薩のような顔を創造して、こころ温かい。この句は句集「二上挽歌」より引いた、沢木欣一の句。

道化師の眼のかなの眼が瞬ける 白泉

白泉の句を読んでふと、船越桂の彫刻を思い出した。その彫刻は、あるときは背中に天使の羽根のような手が生えていたり、肩の上にこんもりと山があったりする異形の注目されがちだが、目の表情が好きだ。桂自身が「何だか変だ、さっきから同じ景色が過ぎている。早く考えなくては、こっちの気付いた事を知られる前に」と書いているように、彫刻の目は遠くを見ているような、心の中を覗いているような表情をしている。この句の道化師の眼は、悲しげでありどこかに憂いを湛えている、桂の彫刻の眼に似ている。この句は、渡辺白泉の「白泉句集」から引いた。

 

日をテーマにした俳句(厳選三句)

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掌に枯野の低き日を愛づる 誓子

この句は、昭和九年に満州(中国の東北一帯の俗称)及び朝鮮での旅吟の句。「特別快車」と題され数句作られた中の一句。その頃は、日本が中国大陸を統治していたので、大陸旅行が盛んだったようだ。車窓から眺める大陸の広々した枯野に沈む夕日は、特別美しくまた感傷的であっただろう。大きな入日をまるで、お盆か何かのように、掌に載せているようだ。更に、全身いやこころの中まで黄金色に染めながら、愛でている。旅情豊かな句だ。この他、「枯原に御厩の馬をいしとしぬ」(奉天北陵)「陵さむく日月空に照らしあふ」「冬日没る金色の女体かき抱かれ」(涅槃寂静相)が、詠まれている。この句は、山口誓子の第二句集「黄旗」より引いた。

こころ尽しの冬の日差しをそばぼうろ 朋子

そばぼうろの「ぼうろ」は、ポルトガル語の「ボーロ」即ち、小麦粉に鶏卵を加え、砂糖を混ぜて焼いた菓子。特に小球状のもの(広辞苑)。だとは、知らなかった。カステラが、オランダから伝えられたと同様、長崎に出島があった時代に渡来した「ボーロ」を日本人が独自の改良を加えて、「そばぼうろ」として、作り上げたものだったのだ。その、「そばぼうろ」は何故か京都の地に、商標登録された店もあり、古くから茶菓子としている。先斗町(ぽんとちょう)の地名もポルトガル語の「ponto」(尖端)に由来するという。そんな背景を知ると、「こころ尽し」の導入部は、やさしく冬の柔らかな日差しとそばぼうろに、ぴったり。俳句研究11月号「テーマ競詠」より引いた、林朋子の句。

陽だまりは ハンカチサイズの孤独です 憲香

冬の陽だまりの白壁に凭れて、空想に耽るのが好きだった。空の浮かぶ雲が、動物に見えたり、時には自分自身が乗っかっていたりする。しかし、何処かしら空虚な気分に襲われる時もある。谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」という詩の一節に「万有引力とは/ひき合う孤独の力である/宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う/宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である/二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」があるが、孤独は、ハンカチサイズで始まる。だが、二十億光年孤独とも言える。俊太郎の詩の「僕は思わずくしゃみをした」の最後の一節が大好きだ。この句は、「青玄合同句集」11からから引いた、中村憲香の句。