俳句の作り方(上級編)

lesson_pic3

切れ ──

俳句には、定型(五七五)と季語の挿入の二つの約束事があると言いましたが、更に俳句はその短い17文字で、詩情を出すための方法が工夫がなされています。

それが、俗に言われる「切れ」「切字」です。

解説書に必ず書かれている「切字」の代表が「や」「かな」「けり」ですが、これらの切字だけではなく芭蕉は「きれ字に用いる時、四十八字皆切れ字也」と述べている通り、作者の意図で如何なる文字でも切れを作ることが、可能なのだということです。
では、
「俳句の切れは何故必要なのか」
と、疑問を持たれると思いますが、俳句は他の文学と異なり、その音律の短さ故に、その時間的な持続性を中断したり、風景を転換したりする方法として、切れ字を用いています。
芭蕉の有名な句に
「古池や蛙とび込む水の音」
がありますが、ここで切字の「や」を無くして、「に」に置き換えて
「古池に蛙とび込む水の音」
としたら、どうでしょう?
古池というものと、続く12音が響きあわなくなり、極めて弱い散文的な俳句となります。「古池や」と切って、古池から転換して、蛙のとび込む音の静寂感や宇宙観にまで、俳句を押し広げて行くのです。

推敲 ──

さて、俳句をある程度作れるようになると、大切な事に句を「推敲」するということが、大切になります。
作った句が、その状況を的確に表しているか?
自己満足に陥っていないか?
その言い回しがもっとも適切か?
など見直すことです。
言い換えれば、第三者の目になって、句のよしあしを見ることです。その言い回しや一字の違いにより、俳句は変貌するものです。芭蕉は推敲することを、実践して説いています。
たとえば自句の「吹とばす石はあさまの野分かな」に至るまで、「吹落す石はあさまの野分かな」「吹颪すあさまは石の野分かな」「秋風や石吹きおろすあさま山」など、推敲を二転三転させています。
近代の句では、飯田蛇笏の「をりとりてはらりとおもきすすきかな」なども、初出は「折りとりてはらりとおもき芒かな」でしたが、推敲を重ねて、全体をかな表記にすることで、芒のやわらかさや豊かさが一層強調された、好例として有名です。

投句 ──

俳句を作ってそのままにしておくだけでは、単なる自己満足になります。俳句の楽しみのひとつに、他人の評価を聞くことがあります。俳句が座の文学と呼ばれるのは、ここにあります。俳句を評価を受けたり、評論し合う場は、いろいろあります。

 

コメントを残す