肉体をテーマにした俳句・その2(厳選三句)

sanku

背を炎天乳房を暗く濯ぎをり 澄雄

俳句研究5月号の特集「現代俳句の出発」で、森澄雄の第一句集『雪礫』を取り上げて、橋本榮治、今井聖、山西雅子の3氏が、論評している。その中で、澄雄の俳句の助詞の使い方について、注目している。掲句を山西雅子は、「龍太が言っていたと思うのですが、「背に炎天」じゃない。「背を炎天」と言うから、背が乳房と連なる肉体であると強調されるし、人物がひきつけられると言うのです。」と、この句の助詞「を」の扱いを学べる「を」だと、述べている。なるほどと、納得させられた。この句は、句集「雪礫」(昭和29年)の中の森澄雄の句。

向日葵よ青年は血と鉛の海 純

青年期の肉体は、大きく変化する。また、精神面でも著しい変化の見るれる時だ。体の中で何か沸き立つように血が踊るかと思えば、鈍重で陰鬱な嫌悪感を覚えることがある。この句は、向日葵の変わらない明るさを捉えて、青年とはそうした不可解なものだと言っている。向日葵との対比により、青年期の影の部分が一層強調されてゲーテの「若きウェルテルの悩み」の世界が、浮かび上がってくる。この句は、句集「非望」(現代書房1981刊)から引いた、徳弘純の句。

顔洗う とんぼの翅の乾くころ 和子

子供の頃、蝶の幼虫を捕まえてきて、家で羽化させたことがある。白つめ草を摘んできて、その葉の上で幼虫を這わせていると二週間ほどで、うす緑に変化してさなぎになり、更に10日ぐらいで、羽化したのを覚えている。羽化は明け方に始まり、さなぎから抜け出す姿を見ていると、とても神秘的でわくわくしたものだった。和子もきっと郷里でトンボの羽化を見たことがあるのだろう。嘗てのそんな体験を脳裏に思い描きながら顔を洗っている姿の前に、すがすがしいミルク色の朝の風景が広がって、見えてくるようだ。この句は「青玄合同句集」11より引いた、桑田和子の句。

 

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