耳をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

耳がいたくて寒くて 裏切みたいな日暮 公子

伊丹公子の自筆百句選が刊行された(沖積舎)。公子の俳句は、詩に近い。詩集『通過儀礼』」の 「(声) 雨が降り籠めて/その声/どの家から湧いたのかよくわからない/家たちは/歳月のように並んで/雨季の盛りだった/屋根が強調された/日本家屋では/雨の確かさが/いっそう/家族を黙らせる/(中略)言葉にならない/音量が/雨雲の町で/あやめのように/咲いて」 の一編で見られるフレーズを抜書きすれば、俳句に様変わりする。掲句の「耳がいたくて寒くて」の導入部と「裏切りみたいな日暮」の言葉の繋ぎは、詩と俳句の鬩ぎ合い感じる。この句は、句集「メキシコ貝」に掲載さtれている。

耳たぶに石けんの泡神無月 恵美子

神無月の言葉は既に、古今集の中に、「時しもあれ冬は葉守の神無月まばらになりぬ森の柏木(法眼慶算)」などにみられる。その語源は、縁結びの神様とされる出雲に、毎年十月に諸国の神々が出雲に集って、縁結びの会議を行うので、神が居ない月即ち陰暦10月は神無し月だという。したがって、出雲だけ神在り月になる。掲句は、そんな神話に裏打ちされた風習と、「耳たぶに石けん」と現代的で俗な言い回しを、取り合わせたことで、神無月の季語が生き生きとしている。ちょっとユーモラスで、少女のイタズラっぽい可愛らしさを想起させる。この句は、しれないと思わせる夢がある。この句は、句集「ポケット」(蝸牛社)から引いた小枝恵美子の句。

ゴッホの耳の包帯ほどく 飛行雲 和子

ゴッホは、いつも女性の愛に恵まれず弟のテオの援助を受けて、困窮の中でも画業続けた。1886年パリに出てから、印象派と浮世絵の影響を受けて、明るい色調の画風に変わった。二年後、ゴーガンと共同生活を送っていたが、それが破綻して耳をそぎ落とした事件は、余りにも有名である。そして、1889年に「パイプをくわえた自画像」として、その姿を描いている。和子は、耳に包帯を巻いたその自画像の陰鬱な雰囲気を、明るく詩的に転化した。飛行雲を包帯とした見立ては、詩人の目であり、ゴッホに対する優しい愛情が見て取れる。この句は、「青玄合同句集」11から引いた、諏佐和子の句。

 

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