神をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

火山の女神睡る 妖精あまた生み 公子

カッパドギア(注 トルコ)のウチヒサールからギョレメ一帯を行く。このあたりは、奇妙な形の岩の群が広がっている。バスは小高い道を走り、見下ろす谷間の村は、目路はるかに奇岩ばかり、頭の尖のとがった岩は、誰が名付けたのかぺリバジャ(妖精の煙突)と呼ばれている。帽子をかぶった形の岩もある。小窓をくりぬいて、住居跡を偲ばせる岩もある。これらの光景は、二千年前の二つの火山の噴火によって、造られたものという。(後略)と公子は紀行文に書いている。きっと溶岩が造り出す風景は、妖精の国に迷い込んだように思えたのだろう。この句は伊丹公子の紀行文集Ⅲ「地図と文鎮」から、引いた。
 

風のうしろで小さな神とすれ違う 泰世

古来、神は動物や植物や無生物から霊力として現れたり、存在するものと考えられて、信仰の対象とされて崇められた。「小さい神」とは、どんな神なのだろうか?風のうしろですれ違ったのだから、風によって運ばれた花粉や綿毛ようなものと考えて見たら、どうだろう。花野の中歩いている作者は、昆虫に変身している。そして、やがて自らも神になっている。この句は、川柳と俳句の境界を歩いていると自負する、大西泰世の句集「椿事」より引いた。この句集には「火柱の中にわたしの駅がある」話題句が多い。
 

神様はいつも年上鰯雲 このみ

漢字「神」の構成部分である示は、上の古字二と上から垂れる日月星の光を表す三線との合成、申は電の原字で震(ふるう)と同じ意味を含んでいる。この両者を合わせて神の字を作り、上にあって万物をふるい動かして恐れつつしませる不可測の力の存在と作用を表現した。この成り立ちからも、一般的に神様は天上にいると誰しも思っている。そして、その神は白髪を生やし、頭上に光の輪を持っている様な西洋の神様を想起させる。いつも年上というフレーズが神の存在を、身近なものとして捉えている。この句は「えすたしおん」13号より引いた、津田このみの句。