玻璃越の木枯の顔とわかれたり 楸邨
ガラスをなぜ玻璃と呼ぶのか調べて見たら、ガラスの起源はエジプト時代に遡る。第18王朝のアメン・ホテップ1世の名を刻した青色のガラス玉が遺品として見つかっている。当初は青色または藍色が主だったようで、後に中国に伝来して、半透明のこれらを瑠璃と呼んでいた。更に後に、水晶のような透明なガラスを玻璃と呼んだようだ。秋邨の句は、列車の窓ガラスであろうか?見送りに来た人との会話まで、想像できるのは、木枯しの顔と簡略した言葉がイメージを膨らませ、クローズアップして迫ってくる。この句は、定本現代俳句(山本健吉 著)から引いた、加藤秋邨の句。
冬ざれの家にガラスの運ばるる 伸一
冬ざれは、見渡す限り冬の景の荒れさびた感じをいうが、「冬されば」の誤用だったようだ。冬されとは、冬になればと言う意味だから、かなり意味合いが違う。冬ざれと濁って発音して、「曝る(ざる)」(日光や風雨にさらされて、白ける)の意味とかぶさって現在の意味になった。掲句は、寒々した邸内をガラスが恐る恐る運ばれている様が、ストップモーションのように見えてくる。ガラスの壊れやすい、危うさが、景色の硬質感や透明感と響きあっていて、冬ざれとガラスの取り合わせが良い。この句は句集「桃天」」から引いた、鈴木伸一の句。
ボジョレヌーボー届いた 初冬 グラスふたつ 睦子
ボジョレヌーボーは、フランスのブルゴーニュ地方、ボジョレ地区の新酒。毎年11月の第3木曜目がその解禁日と定められている。なぜ第3水曜なのかと不思議に思っていたら、解禁日を厳密に決めていないと、誰よりも早く売ろうと粗悪品が出回るのを防ぐのと、第3土曜にはブルゴーニュ地方のワイン祭りがあるからだ。睦子は相当のワイン通なのだろう。航空便でワインが届いた日の喜びが、字空けして初冬と表して、溢れ出している。そのワインを傾けるのは二つのグラス。二人の関係(夫婦、友人等)の良さが、ボジョレヌーボーが通して見えてくる。この句は「青玄合同句集」11から引いた寺泉睦子の句。