一東の韻に時雨るる愚庵かな 漱石
最近、「子規・漱石往復書簡集」(和田茂樹編 岩波文庫)が出たので買った。この本は、二人の書簡を忠実に日付を追って書かれているだけなのだが、面白い。子規と漱石が親交を深めるきっかけは、落語であったことは知られているが、書簡のやり取りの随所にそれが、垣間見られる。時には、漱石は俳句を子規に書いて、評を仰いでいる。子規はその俳句に添削したり、○印を付けて評価している。この句は○印二つの句。一東は清の毛奇齢が分類した漢字の韻目の一つ。また愚庵は、天田愚庵(京都の禅僧)のことで、子規の知り合いで万葉の歌人でもあったらしい。漢詩にもくわしい、子規らしい評価の句。この句は、書簡集明治30年12月
12日の書簡から引いた、夏目漱石の句。
しぐるるや駅に西口東口 淳
敦は、新興俳句運動に参加。「旗艦」を経て、弾圧時代「多麻」を創刊、応招。戦後万太郎を擁して、「春燈」を創刊し、後に主宰となった。その経歴を示すように、この句の作った頃は貧しかったようだ。「職替えてみても貧しや冬の蝿」「春の蚊や職うしなひしことは言はず」などが、同時期に詠まれている。そんな背景を知れば、この時雨の冷たさが、一層見えて来る句。ただ、暗さだけが強調されているのではなく、西口、東口と結句したことで、明日の明るさが感じられる。今風に詠めば、携帯で場所を確認し合っている、若者の待ち合わせ風景にも見える。この句は、句集「安住淳集」から引いた、安住淳の句。
雨音にハミング 寒の終い風呂 康子
寒は、寒の入り(1月5、6頃)から寒明け(2月4日)の前日まで。寒四郎(寒入りから4日目)、寒九(寒入りから九日目)などの、面白い季語があるが、寒さの一番厳しい時である。歳時記の例句にも、「寒の汽車すばやくとほる雑木山」(龍太)など、如何にも寒々しい句が多い。しかし作者は、その寒を逆手に取って楽しんでいる。家事を終えて、身を沈めるバスタブの窓を打つ雨音に合わせてハミングしている。それは、どんな曲であろうか?もう作者の目の前には、春の花が咲き乱れているようだ。この句は、この句は「青玄合同句集11」より引いた、岡谷康子の句。