寒をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

朝寒や生きたる骨を動かさず 漱石

この句には、修善寺病中吟「わが全身に満ち渡る骨の痛み」と前書きがある。漱石はもともと胃腸が弱く、ついに明治四十三年に胃潰瘍の宣告を受け、修善寺に転地入院した。「余は生まれてより以来、この時ほど吾が骨の硬さを自覚したことがない。その朝(九月二十五日)目が覚めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった(略)」等と、その時の様子を書いている。大量の吐血をした身体は寒さを一段と感じたのであろう。また、痩せ細った自らの身体を生きたる骨と表現し、痛みに耐える意識の凄まじさを表現している。この句は夏目漱石の句より引いた。

寒鯉や髭あるものはみな聖者 ちせい

広辞苑によれば聖者とは、①聖人に同じ②キリスト教で、殉職者や偉大な信徒の美称。と書かれている。ならば聖人と言われた中国の儒教の尭、舜、孔子なども立派な髭を蓄えていた。イスラム教徒の聖人たちもまた、髭を生やしている。それらの聖人の髭と、鯉の長い髭を対比させている。尊いものと俗なものを取り合わせることにより、この句に俳諧味とアイロニーを与えていると言える。この句は「青玄合同句集11」より引いた、青玄無鑑査同人たむらちせいの句。

寒波来る何だかみんな寄り目して 優

高緯度地方の寒気の固まりが、大規模に中緯度、低緯度の地方に流れ出して、急激に気温の低下を起こす現象が寒波である。その冬、はじめての寒波を「冬一番」等と呼ぶが、何しろ一日で5度から10度気温が低下するので、体がまだ寒さに充分慣れていないので非常に寒く感じる。掲句は、そんな状態を寒いなどと言わずに、みんなが寄り目になっていると、意表をついた表現をしている。なんだか、そんな光景を想像すると愉快になる。この句は「船団53号」より引いた、池田優の句。