火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな 乙字
乙字は明治、大正俳壇の論客だった。碧梧桐の弟子として、「俳句界の新傾向」を発表した。その要旨は、従来の明治新派の俳句は、一読直ちにその景を目前に浮かべる直叙的活現法ともいえる句が多かったのに対し、特性を指示して本体を彷彿せしめる隠約的、暗示法に移りつつあると論じた。当時の俳句界の大きなうなりとなってが、後に批判的になり、碧梧桐と対立する。乙字は四十歳迎えることなく死んだが、その波乱に満ちた生涯の予見するように、枯野の中にただ一人居る自分を象徴的に詠んでいる。嘗て自らが肯定しかつ否定した暗示法によって。この句は「乙字句集」より引いた、大須賀乙字の句。
小鳥死に枯野よく透く籠のこる 実
嘗て文鳥を飼っていたことがある。突然、前日まで元気だったのに朝見ると死んでいた。まだ体温の残る死骸を、梅の若木の下に埋めた。その梅も大きくなり毎年、沢山の実を実らせる。まるで、あの文鳥の囀りのように。この句はそんな鳥が死んだ日の光景を枯野が透くという表現で、端的にしかも感覚的に表している。残された鳥籠が死のシンボルの如く、迫ってくる。また、カ行の言葉使いも、句にイメージの歯切れを与えている。この句は飴山実の句集「少長集」より引いた。
枯蓮 かくもかくもというかたち 富貴子
蓮はインドが原産で、仏教と関わりが強く、仏像の台座にあしらわれている。ギリシャなどでは、ロータスと呼んで柱頭や柱脚の飾りに用いられている。日本には中国から伝えられたようで、花は大輪でしかも色彩的にも美しい。その花を愛でて、「蓮ひらく雲も花びらなして透き」(宮津明彦)などと、詠まれる。その華やかさ故、枯れ蓮は痛々しく哀れである。富貴子は、哀れと、直接的な詠みを避け、「かくもかくも」と、レフレインの手法を用いて際立たせている。かくもの「か」が枯蓮の茎が無残に折れ曲がっている様子が、音感によっても感じられる。この句は「青玄合同句集11」から引いた、青玄同人の江南富貴子の句。
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