家をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

石の家にぼろんとごつんと冬が来て 窓秋

この句を見て、「北の国から」の主人公の黒板五郎(田中国衛)が、丸木の家に続いて建てた石の家を思い出した。いまは、「北の国から」のロケ地の観光コースがあり、石の家が見られるという。一度行って見たい気もするが、自分のイメージのまま残していた方が、いいのかもしれない。ともあれ、掲句も厳しい自然環境の中に立っている風景が思い浮かぶ。中七の「ぼろんとごつんと」のオノマトペは、石の質量の表現ともとれるが、人間が立ち向かう冬の厳しさを、指し示しているようだ。窓秋は、戦争で満州に出兵していたので、大陸での思い出なのであろうか。この句は、句集「石の門」(酩酊社)から引いた、高屋窓秋の句。

よく眠ることが身上 落葉の家 千佳子

千佳子は明治44年生まれの92歳。明治と言えば、明治のはじめ日本へ来て、東大で言語学・国語学を講義した、イギリスの学者、チェンバレンの著した『日本事物誌』がある。そこで、日本語には火事に対する語彙が豊富であることを指摘している。なるほど「ぼや」「丸焼け」「飛び火」「貰い火」から「火事場」「火事ドロ」「火事見舞」など数多い(ことばの歳時記より抜粋 金田一春彦著)。当時の欧米人には、日本の家屋は木と紙で出来ていると信じられていたようだ。この句も俳句を知らない人が、詠んだら落葉で、家が作られていると思われるかもしれない。しかし、そういう風にとって、落葉の中で虫になって、すやすや眠っている風景も詩的でいい。この句は、青玄12月号(584号)から引いた、西尾千佳子の句。

親を看る最後の家人シクラメン 明

俳句研究12月号で、俳人大アンケートを掲載し、264名の俳人がこれに答えている。この句は、そのアンケートでの鈴木明(野の会、青玄)の自選一句である。その中で明は、「句選で感じること。高齢化からか老病死に関わる切実な句が多い。真情の吐露も俳句だが、形式を用いた自己救済の試みをいま少しプラス思考に向けられないかと、同じ晩年を迎え、互いに戒老の腕の見せ処と思う」と答えている。掲句の自作も明の考えに添って当然、病気の親の枕元にまるで灯火のように点って、見守っているシクラメンを擬人化した詩的な描写という解釈が正解であろう。

 

耳をテーマにした俳句(厳選三句)

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耳がいたくて寒くて 裏切みたいな日暮 公子

伊丹公子の自筆百句選が刊行された(沖積舎)。公子の俳句は、詩に近い。詩集『通過儀礼』」の 「(声) 雨が降り籠めて/その声/どの家から湧いたのかよくわからない/家たちは/歳月のように並んで/雨季の盛りだった/屋根が強調された/日本家屋では/雨の確かさが/いっそう/家族を黙らせる/(中略)言葉にならない/音量が/雨雲の町で/あやめのように/咲いて」 の一編で見られるフレーズを抜書きすれば、俳句に様変わりする。掲句の「耳がいたくて寒くて」の導入部と「裏切りみたいな日暮」の言葉の繋ぎは、詩と俳句の鬩ぎ合い感じる。この句は、句集「メキシコ貝」に掲載さtれている。

耳たぶに石けんの泡神無月 恵美子

神無月の言葉は既に、古今集の中に、「時しもあれ冬は葉守の神無月まばらになりぬ森の柏木(法眼慶算)」などにみられる。その語源は、縁結びの神様とされる出雲に、毎年十月に諸国の神々が出雲に集って、縁結びの会議を行うので、神が居ない月即ち陰暦10月は神無し月だという。したがって、出雲だけ神在り月になる。掲句は、そんな神話に裏打ちされた風習と、「耳たぶに石けん」と現代的で俗な言い回しを、取り合わせたことで、神無月の季語が生き生きとしている。ちょっとユーモラスで、少女のイタズラっぽい可愛らしさを想起させる。この句は、しれないと思わせる夢がある。この句は、句集「ポケット」(蝸牛社)から引いた小枝恵美子の句。

ゴッホの耳の包帯ほどく 飛行雲 和子

ゴッホは、いつも女性の愛に恵まれず弟のテオの援助を受けて、困窮の中でも画業続けた。1886年パリに出てから、印象派と浮世絵の影響を受けて、明るい色調の画風に変わった。二年後、ゴーガンと共同生活を送っていたが、それが破綻して耳をそぎ落とした事件は、余りにも有名である。そして、1889年に「パイプをくわえた自画像」として、その姿を描いている。和子は、耳に包帯を巻いたその自画像の陰鬱な雰囲気を、明るく詩的に転化した。飛行雲を包帯とした見立ては、詩人の目であり、ゴッホに対する優しい愛情が見て取れる。この句は、「青玄合同句集」11から引いた、諏佐和子の句。

 

妻をテーマにした俳句(厳選三句)

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無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 夢道

この句は、句集「無礼なる妻」に収録されている、橋本夢道の作。夢道は、徹底した社会批判俳句で、治安維持法で投獄されたこともある。その作風は、庶民生活を人間臭く描き出し、季節(季語)や音律の制約を取り払って、社会の矛盾や不合理を詠んだ。「良妻にヤミ米騰るに農相『善処します』」、「毀れ易い幸福に冬海の朝日がきらきらさす」などの、弾圧の時代を意識して、むしろ茶化している。掲句に出てくる妻は、貧乏でろくな物が食えない毎日の生活の苛立たしさを、「馬鹿げたもの」と転化して、無礼なる妻という大仰な言い回しは、妻に向けられたものではなく、社会に投げかけられたものであろう。

絨毯は空を飛ばねど妻を乗す 道夫

この句に登場する妻は、夫に愛される幸せな姿を示す。空飛ぶ絨毯、即ちアラジンの魔法の絨毯のパロデイ化。妻の座る絨毯はふかふかで、如何にも暖かく描かれている。それは、妻に対して注がれる、道夫の視線の優しさである。言い換えれば家庭における妻の存在感を指し示している。また、「妻を乗す」の表現に意外性があり、もしかして念じれば、飛ぶかもしれないと思わせる夢がある。この句は、句集「顱頂」から引いた中原道夫の句。

山茶花に近寄っていく 妻の息 和實

山茶花の漢名は「茶梅」で日本原産。江戸時代にオランダ人が、ヨーロッパに持ち帰ったのが、西欧に広まったらしい。だから、学名も英名もサザンカ(Sasanqua)という。俳句では、俳諧の時代に詠題として、登場している。「山茶花を旅人に見する伏見かな」西鶴(蓮の実)「さざん花に囮鳴く日のゆふべかな」言水(京日記)などが見られる。さて、掲句だが、咲き初めた山茶花の楚々とした姿に惹かれて、近づいて行く妻をフォーカスしている。「妻の息」の捉え方は、充分に妻への心配りが見える。この句は「青玄」576号から引いた、木寺和實の句。

 

枯をテーマにした俳句・その2(厳選三句)

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枯野はも縁の下までつゞきおり 万太郎

万太郎は、小説家としてだけではなく、俳句は余技であると言いながら、こよなく愛していた。『万太郎句集』の後記の中で「わたくしは俳句を、小説を書き、演出に関する仕事をするひまひまを縫ってつくります。従ってわたくしの俳句はわがままであります。必ずしも俳句の規格にしたがひません。しかしわたくしをはなれて・・・わたくしの生活識域をはなれてわたくしの俳句は存在しないのであります」と書いている。掲句には「病む」と前書きが付いている。この頃、万太郎は既に妻を無くしていた。病床から見る枯野は、縁の下即ち自分の寝ている布団のしたまで、一人暮らしの淋しさのように忍び寄って来る。「はも」という詠嘆語が、強くその心情を表している。この句は、句集「草の丈」から引いた、久保田万太郎の句。

路地住みの終生木枯きくもよし 真砂女

真砂女は、「春燈」で久保田万太郎に師事した。また、銀座一丁目の路地の奥で、小さな「卯波」という小料理屋を、営んでいたことで知られている。店でも終日、着物を着て立ち働いていた、この句から気概が伝わってくる。「終生」という一見言えそうで言えない言葉を、句に載せたことは、その地(店)を愛し、店を訪れる人を愛していたのであろうことが窺い知ることが出来る。真砂女は、「終生」を実践した。その生き様をモデルにして、丹羽文雄が、「帰らざる故郷」という小説にしている。この句は、句集「夕蛍」より引いた、鈴木真砂女の句。

冬枯れのメタセコイアのこの微熱 節子

メタセコイアは1941年、中国の四川省で発見され、生きている化石だと騒がれた。アメリカの学者により種子から苗が育てられ、日本でも栽培されるようになった。その成長は早く、材質も柔らかい。そして、なにより葉が対生して細かく、若葉の頃は手で触れると心地よい。また紅葉の頃の枯れ色は、独特の風合いで美しく好きな樹木だ。メタセコイアは、冬枯れになれば小枝ごと落ちる。節子はその様を、微熱だと感覚的に捉えた。「この微熱」の「この」という表現は臨場感たっぷりだ。この句は、「船団」57号から引いた、鶴濱節子の句。

 

果物をテーマにした俳句(厳選三句)

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梨むくや甘き雫の刃を垂るゝ 子規

子規は、無類の果物好きだった。友人の夏目漱石は、小説「三四郎」の中で列車で隣り合わせた髭のある男とのくだりで「次に男がこんなことを言いだした。子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがあった。それでもなんともなかった。」などと、書いている。実際、子規は自分でも果物が無ければ、筆が進まないとも書いている。さて、掲句だが明治二十七年の作品となっている。従って、まだ病床に伏せていない時なので、自ら梨を剥いたのであろうか。その刃先から零れ落ちる果汁は、いかにも梨の瑞々しさを表現していて美味しそう。この句は、「子規句集」から引いた、正岡子規の句。

挑戦とは生きていること 林檎かじり 満枝

先日、満枝から句集「あやとり橋」を送って頂いた。「かけがえのない今がある もつれ蝶」など、病床のご主人を支えながら、作句に励む心象俳句が多く収められている。掲句で扱われる林檎は、島崎藤村の「初恋」で詠まれた「やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり」のような、甘い恋情感ではない。林檎を挑戦という生きる日々の決意と描いている。林檎のあの独特の色合いの赤は、挑戦の色だと言えるかも知れない。この句は森本満枝の句集より引いた句。

マジックミラーの捉えた街灯 ラ・フランス ゆきこ

洋梨の王様と言われるラ・フランスは、フランスが原産で1864年に発見され、明治初年に日本に導入されたのですが、食べ頃が難しく、栽培も難しいので最近まで、普及しなかったそうだ(今は、山梨県で多く作られている)。ゆきこの詠んだ掲句は、街灯の形を単純にラ・フランスと模して、表現したのではなかろう。そこに、マジックミラーの不思議さを句の中に介在させいる。マジックミラーは向こう側とこちらの世界は異なっている。それは、こころの中の表裏と置き換えてもいい。向こう側には絵葉書のように街灯が並ぶパリの風景が広がっている。俳句に二重写しの手法を巧く持ち込んだ。この句は、句集「手品師の鞄」から引いた、荒木ゆきこの句。