魂をテーマにした俳句(厳選三句)

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たましいを秤るや黴の花の中  朱鳥

虚子に「曩に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た」と賞賛された朱鳥は、中学時代に胸を病んで以来、生涯病弱だった。昭和二十七年には「菜殻火」を創刊して、生命風詠をめざした。そんな朱鳥だから、句集「愁絶」に見られる“つひに吾れも枯野のとほき樹となるか”など死や魂を意識した句を残した。掲句も魂を強く意識して、魂の重さを神の秤に委ねた。黴の花の中と表したのは、腐敗した濁世を比喩しているのだろう。この句は、野見山朱鳥の句集から引いた。

栃木にいろいろ雨のたましいもいたり  完市

栃木は嘗て足利氏の発祥の地であり、足利市には藤本観音山古墳を始め、確認されているだけでも159基に及び、古代から聖地として考えられていた。更に、男体山は山嶽信仰の対象として神仏習合の霊場のして栄え、その後徳川秀忠により、日光東照宮が家康の霊廟として建立されたことにより、確固たる聖地となった。この句は、そんな栃木の歴史的背景を踏まえて、魂は万物に宿るとされていることから、しとしと降る雨にそれを感じたのだろう。
この句、阿部完市の句集「荷物は絵馬」より、引いた。また、完市は日野草城などにも俳句を学んでいた。

穴だらけの魂充たす青葉風  泰子

広辞苑によれば、「動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの古来多く肉体を離れても存在するものとした」と書かれている。したがって、魂が穴だらけになることだって、決して不思議ではない。魂に穴を開けたのは、身近な人の死であったり、若き日の失恋や信頼していたものの崩壊による落胆だったとも、想像出来る。こんな傷ついた魂は、青葉風ならきっと埋められるだろう。
この句は「青玄合同句集11」から引いた、青玄無鑑査同人川村泰子の句。

 

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