かりかりと蟷螂蜂の皃を食む 誓子
カマキリは前あしの徑節の先がとがり、鎌状に折れ曲がるのを利用し、種々の昆虫を捕獲する。自然界の食物連鎖とはいえ、その情景に出くわすと目を背けたくなる。
「かりかりと」というオノマトペが一層、残酷性を強調している。徹底して写生構成と具象表現を説いた誓子だから、冷静にカマキリのその姿を凝視して、かりかりと蜂を食む音さえ聞こえたのだろう。他にも、「蟷螂の眼の中までも枯れ尽くす」なども同様の写生風景を描き出している。この句は、山口誓子の句集「凍港」から引いた。
水滴のひとひとつが笑っている顔だ 顕信
顕信は、急性骨髄性白血病で三年間の闘病の末、わずか二十五才の若さでこの世を去った。青春の真っ只中の歳月を死と背中合わせで過ごねばならなかったことを、想えば悲しい。病床の限られた空間を中で限られた題材を、切実に、特に「雨」「影」をくり返し詠んでいる。この句も病床の窓の雨粒を自分自身に笑いかけているようだと、独特の感覚を示した。「影もそまつな食事をしている」「月はりつけて閉ざされた窓がある」なども好きな句だ。この句は死後刊行された住宅顕信の句集「未完成」より引いた。
昆虫の貌をして出る 芒原 砂穂
すすき原と言うと、何故か子供の頃聞いた民話の「ごん狐」の話が思い出される。
兵十といたずら好きのごん狐のほのぼのした交流は、日本の原風景そのものだったのだろう。月光に輝く、すすき原に迷い込んだら、何処からかごん狐が現れて遊んでくれそうだ。だが、ご注意!遊びつかれてすすき原を出る時、あなたは昆虫の顔にされているかも、そっと顔を確かめて出るのが肝要。こんな夢を見させてくれる楽しく、メルヘン風の句。この句は、青玄合同句集11から引いた中島砂穂の句。
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