淋しいゴーガン観しがきのふけふ台風 宏
印象派は真実らしさにこだわり過ぎ、自由な想像力の世界を放棄していると、ゴーガンは人間の内面のはかり知れない神秘の世界に主張した。その思想が、ヨーロッパ文明に対する不信となって、タヒチに渡り一連の作品を生み出した。反面、妻とは反目し合い、病気に苦しみながら、たった一人きりでドミニカ島で55歳で亡くなった。
その激しい色彩や構図に込められたのは、彼の孤独なのだろう。だから、ゴーガンのその作品を淋しいと捉え、南方海上で発生する台風が、きのふけふと言葉で、一層ゴーガンの作品に迫ってくる。この句は、竹中宏の句集「饗宴」より引いた。
花のごとく下着を干しぬ鬼貫忌 久美子
鬼貫は、伊丹生まれの江戸時代活躍した俳人、上島鬼貫のこと。その俳号を、鬼の貫之(紀貫之)を名乗るぐらいだから、極めて自己主張の強い俳人だった。青年時代は、俳諧にのめり込み20才前後に「当流籠抜」など次々と俳書を出している。と思えば一転して、武士として仕官して生きようとしたり、その生き様はユニークであるが、晩年は風流人として生きる。そんな鬼貫の人間性を重ね合わせると、男子寮に万国旗のように翻る下着ではなく、そっと花のごとく恥じらい干す下着が妙に艶っぽく、符合している。この句は句集「ゆめに刈る葦」より引いた、松葉久美子の句。
名月にモンロー歩きの 白い猫 公子
モンローは、そのスタイルや声や言動から、セックスシンボルとしてシネマの世界では扱われたが、死後出された様々な著書によれば、淋しがり屋の純情な女性だったらしい。最後の作品は未公開のものだが、彼女自身が最も演じたかった母親役だったとか。この句は、猫の歩く姿を見て、スクリーンの中のモンローを思い描いている。
この猫は、ペルシャ猫のようなシャレた猫だろうか?劇団四季のミュージカル「キャッツ」の月光下の一場面を想像したりするのも良い。この句は、「青玄合同句集11」から引いた佐藤公子の句。