母や碧揚羽を避くるまでに老い 耕衣
耕衣には父や母ばかりを詠んだ句集「梅華」がある。それほど、父母に対して絶えず優しく視線を送っていたのであろう。「朝顔や百たび訪はば母死なむ」に代表されるように、母を詠んだものに佳句が多い。さて、この句は碧揚げ羽を象徴的に捉え、老母と対比させている。碧揚げ羽を華麗ゆえの、滅びるゆく哀れさがある物のシンボルとしたのか、あるいは、優美に飛ぶ姿を見て、黄泉の国に誘う使者として、描き出したのかもしれない。老いることは美醜や死の恐怖から逃れられない。自らは九十七歳まで元気で生き通した。禅にも興味をもっていた耕衣らしい、句と言えよう。この句は、句集「驢鳴集」(昭和27年刊)より引いた、永田耕衣の句。
つばくらめ 野良にいそしむ母にくる 一男
つばくらめは、勿論つばめのこと。つばめは極めて人間の身近にいる鳥のひとつであるが、その生態も人間に近い。人家の軒先に作る椀形の巣は、かって農村などでは赤ん坊を藁のお櫃状の中に入れて育てた事に似ている。また、そのペアリングも他の鳥のように、生死を賭けて争ったりしない。その子育ての様子や巣を大切にし、次の年も同じ巣に戻るという、極めて人間的なことから親しみを覚え、燕は大切にされている。この句も、そうした田畑を守り、子どもを育ててゆく母の姿を、つばめとオーバーラップさせて描いている。この句は、「青玄合同句集11」より引いた、青玄無鑑査同人、市橋一男の句。また氏は、1984年「青玄賞」を受賞している。
母に繋がる細管あまた 青嵐 昭一
細管とは、なんだろう。細管=血管、更に言えば遺伝子細胞と考えたい。子は親と肉体上の背が低いだの、目が細いなどの他、情緒的な内面までも、遺伝子で繋がっている。胎児して母体の中で臍の緒で繋がり、生まれ出て、真っ先に親として認識する、母親にそれを強く感じる。青嵐という季語を据えたことで、母への想いの強さと青春性の高い、清々しい句になっている。三好達治の詩の一節に「時はたそがれ/母や 私の乳母車を押せ/泣きぬれる夕日にむかって/りんりんと私の乳母車を押せ/(中略)母よ 私は知ってゐる この道は遠く遠くはてしない道」(乳母車より)達治もまた、母と強く繋がっていた。 この句は、「青玄合同句集11」から引いた、青玄無鑑査同人、橋本昭一の句。