予期せぬ咳一つ 流人の井戸覗き 三樹彦
この句は、岡山県の沖合いにある無人島の鶴島で詠まれた句。鶴島はキリスタン117名が、自由の身になるまでの三年半余りを、すし詰め状態の長屋で暮らした処。今は亡くなった十八名のキリスタンの墓やマリア像がある。島の周辺には、鴻島、鴎島、さるに島など、行ってみたいような島が散在している。さて掲句だが、キリスタンは島で作らさらていた、大豆、麦、さつま芋などは一切口にすることを禁じられていた。そのような過酷な弾圧生活を思い描き、井戸を覗き込んだ折、思わず魂の叫びのように咳が出たのであろう。この句は伊丹三樹彦「全句集」の中より、島嶼派と題された一連の島ばかりを詠った頁より引いた。
佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり 未知子
佐渡島は、新潟県北西部、本土から三十五キロ隔てた、周囲に二百十七キロ、面積八百五十七平方キロの日本最大の島。しかし地図上で見ると、ほんの少し離れている感覚が強い。たぶん、夫婦喧嘩でもしたのでもあろうか、今日はいつもと距離とは違った気分の布団の敷き様。どこか思わず、くすりと笑わせるようなユーモアに溢れている。この句は、「現代俳人一〇〇人二〇句」から引いた、櫂未知子の句。この句以外にも、「春は曙そろそろ帰ってくれないか」など日常生活を、巧みに表現したものやスパッと言い切った俳句が特徴。
鳥が附いて一本松の島を嗅げり 浩司
「鳥」という字と「島」という字は、似ている。一見なんの関係も無い様に見えるが、実は島という字は、「山」と「鳥」の字が合わさって出来たもの。海鳥が羽を休めたり、産卵したりする繁殖の場所なのだ。この句の島は、地図にも載っていないような洋上の無人島だろう。やっと一本の木が生えたこの島に、渡り鳥の一羽が島をまるで嗅いでいるかのように、旋回している。そして、つぎつぎ仲間が飛来して、文字どうりの島になり、植物が繁茂する。そんな自然の営みが見える句。この句は、安井浩司の句集「赤内薬」より引いた。
コメント