大青空 水牛が雲食べたから 三樹彦
去る6月8日、神戸のポートピアホテルで三樹彦の現代俳句大賞受賞記念祝賀会が執り行なわれた。当日は、俳句界のみならず各界から460余名の出席者がある、大パーティーであった。掲句は、その時の雰囲気を象徴するような一点の曇りもない大青空を詠んでいる。水牛が雲を食べたから、の表現はロマンを感じる。三樹彦は、いまだフットワークが軽く、海外へたびたび出かける。この句も海外詠で、その受賞対象になった現代俳句協会の機関紙「現代俳句」に掲載されている自選80句の中の伊丹三樹彦の一句。
峰の雲落ちて筧に水の音 漱石
坪内稔典が、「俳人漱石」(岩波新書)を刊行した。この本は、漱石の俳句を取り上げた解説書だが、すこぶる面白い。そのわけは、子規、漱石、稔典(著者)の三者によるあり得ない鼎談形式をとっているからである。この句でも子規が『ただ、峰の雲という言葉がちょっと気になる。入道雲のことだとすると、「雲の峰」だよね。「峰の雲」だと、山の峰にかかっている雲、とも考えられるが、そうだとするとこの言葉は季語でない。』と言えば、稔典がすかさず『はい、そこが問題です。(中略)その用例は大野林火の「昂りてのぼる峯雲赤子泣き」です。(後略)』と「峯雲」が「雲の峰」と同じ意味なったのはごく最近で、漱石の死後であることなどを、話している。漱石がどう答えたかは、同書を読めばわかる。
帆柱の雲を倉庫に積み上げる 赤黄男
帆船の上に、浮かんでいる雲を入港後、帆柱に絡まっているように思えたのあろう。接岸して荷降ろしする人夫たちの手で、その雲はまるで梱包された綿花のように、倉庫の前に、積み上げられてゆく。この大胆な比喩は、赤黄男ならではのものだ。とても心地よい気分と真っ白な風景が眼前に広がってくる。この句は句集「天の狼」に所収され「雲のラッパ」と題された一連の中の富澤赤黄男の一句。その他「赤い花買ふ猛烈な雲の下」など色彩感覚の豊かな句もある。
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