楽器をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

崖上のオルガン仰ぎ種まく人  修司

句集「花粉航海」より掲出した寺山修司氏の句。修司は「父、母、故郷」をテーマに短歌や俳句を書いた。それは米軍基地に派手な身なりで出入りする母をあなたとしか呼べなかった事や逃れられない故郷への想いがそうさせたのだろう。掲句のオルガンも現実のオルガンではなく、故郷の象徴として表したのだろう。また種まく人は彼自身の姿に違いない。望郷の思いは“わが夏帽どこまで転べども故郷”などにも見られる。しかし、修司は「社会性を俳句の内でのみ考えていた僕は、俳句というジャンルが俳人以外の大衆には話しかけず、モノローグ的な、マスターベーション的なジャンルにすぎないことを知った」と語り、俳句から離れていった。修司の俳句や短歌を読み返してみて、余りにも純粋過ぎる姿を思い描いて悲しくなった。

浅蜊洗う マラカスの音させながら  ゆきこ

句集「手品師の鞄」(平成11年刊)を出し、2000年に青玄賞を受賞している。掲出したのは荒木ゆきこ氏の近作。彼女は非常な宝塚フアンであり、映画通。そんなお洒落で、モダンな一面が、掲句にも如実に表れている。キッチンで単に味噌汁を作る為に浅蜊を洗うという行為でも、その音はマラカスだと感じてしまう。もはや、キッチンは宝塚のステージと化してしまうのだ。最近、俳句を分解して想像遊びをすることに、凝っている。たとえば、掲句を浅蜊洗う ××××させながら、と××の部分に自分ならどんな言葉をいれるだろうと考える。とても、マラカスの音は想像出来なかった。自分の読みを外される意外性のある句が好きだ。ゆきこの句に“新じゃが洗う ボウルの中の乱気流”などもその類でウイットに富んだいい句だ。

木琴を叩いてさがす 今の私  美津子

青玄合同句集より掲出した引田美津子の句。美津子は、俳句のみならず、現代詩においても才能を発揮して、たびたび賞を得ている。掲句も、詩の中の一説を切り取ったような、極めて叙情的な形式で捉えている。ふと、自分自身が解からなくなったり、問い直してみたりすることがある。果たして彼女の今がどの音だったかは、知る術は無いが、たぶん木琴のことだから、それほど深刻な場面ではないことは、想像できる。詩人の谷川俊太郎の詩の一説に「ひとつたしかな今日があるといい/明日に向かって/歩き慣れた細道が地平へと続き/この今日のうちにすでに明日がひそんでいる」今を確かめることは、明日を確かめることだったのだ。