足をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

春暁や足で涙はぬぐえざる 美秋

この句に、作者の背景を知らないで詠めば、いわゆる俳句のパターンの一つである当たり前のことを意味を持たせるごとく言う「牛は足が四本で野菊が咲いていた」(中塚一碧楼)のように思える。しかし、美秋は筋萎縮性側索硬化症を発病し闘病生活を送っていた。この病気は、あらゆる筋肉が失われてゆき、ついには全身不随になる難病。末期には唯一動かすことの出来る足の指で、自分の思いをワープロに打ち続けたという。そのことを知れば、涙をぬぐいたくともぬぐえない、美秋の絶望感や悲しみが胸に迫ってくる。この句は、折笠美秋の句集「君なら蝶に」より引いた。

豚の足かくもほつそり春の泥 留菜

豚はヨークシャー種などは、体重200~250キロにもなる。その割りにその体重を支える足は、以外に上体に比して著しく細い。だから、どことなくユーモラスで好きだ。先ごろ映画『ベイブ/都会に行く』パート2を見た。前作でクリス.ヌーナン監督は微笑ましくベイブを描いたが、前作でプロジューサーだった、ジョージ.ミラーが監督になり今回は、牧洋犬ならぬ牧羊豚として成長して行くたくましい姿を撮った。留菜も豚に優しいまなざしを注いでいる。季語に春泥わ配したことは、単なるその姿の描写に止まらず、農業を営む作者の喜びや感動を読者に伝えている。この句は句集「旱星」より引いた、前田留菜の句。

足が出て手が出て蝌蚪のさびしさは 克己

蝌蚪(かえるご)を音読して、「かと」と詠んで表現したのは、虚子らしい。その後、俳人の間に定着し、広く使われるようになった。古句では、かえる子として、「蛙子や何やら知れぬ水の草」(蝶夢)など、沢山詠まれている。この句場合は、平易な書き出しを思えば、「かと」より「かえるこ」と読み替えても良いかもしれない。読みはともかく、お玉杓子の手足が出て、やがて尾っぽが無くなって行く様を、「淋しさ」と克己はその思いを詠んでいる。なるほど、人間も嘗て持っていた尻尾の名残の尾てい骨を持っている。どことなく、その事とイメージが重なってくる。この句は、行方克己の句。

 

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