指揮するは風です土筆の合唱団 砂穂
この句を詠んで、金子みすヾの童謡の一節のように思えた。たとえば、「土と草」と題した童謡では、かあさん知らぬ/草の子を、/なん千万の/草の子を、/土はひとりで/育てます。 /草があおあお/しげったら、/土はかくれて/しまうのに。/(わたしと小鳥とすずと-JULA出版局発行)などに挿入すれば、ぴったり。土に育てられた土筆が目覚めて、風の指揮で歌うのは、みすヾの童謡。春の喜びを、砂穂はメルヘンチックな光溢れる光景として、表現して見せた。この句は3月8日に放送された、NHKのBS俳句の伊丹三樹彦特選の中島砂穂の句。
にんげんをなんとなくみて河馬沈む 節子
河馬の体は、頭胴長4メートル、肩の高さ1.5メートル、体重は2~3メートルに達する。しかしその巨大な体に比して、目は小さい。水面から目玉と鼻を出している姿はとてもユーモラスだ。節子は、動物園でそんな河馬の姿を見て、俳句に仕立てたのであろう。しかも、漱石の「吾輩は猫である」ばりに、河馬の気持ちになっている。動物園では、人間が動物を見るが、それを逆転させて河馬が人間を眺めている。上五、中七はひらがな表記して、その雰囲気を上手く表している。この句3月8日に放送されたNHKのBS俳句の伊丹三樹彦特選の高田節子の句。
二人居にも一人の時間春隣 美智代
核家族が進み、嘗て7~8人同居が当たり前だったのが、いまは夫婦ふたりだけの家庭が多くなった。共通の趣味であり、ともに過ごす時間も心地よいものだが、一日中一緒に居る訳には行かないし、物理的にも不可能だ。この句の場合、その一面を別の角度から自分の内面を描いた。即ち、一人居にも一人の時間とも読みとれる。言い換えれば、自分自身の中にも、もう一人の自分がいるのだ。春隣の季語が、自己の開放を明るく表している。この句は、3月15日放送されたNHKBS俳句の伊丹三樹彦十選に選ばれた谷越美智代の句。
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