黒船の黒の淋しさ靴にあり 幸彦
デザイナーのソニア.リキエルが自著の中で、<黒という色は淫らな色だ...もしそれを着こなせたら。><心の平安を乱す強烈な黒。...絶対的な黒。印象的で、独特で、華麗で、衝撃的で、それはまるでふたつの瞳だけしか見えない黒猫のように、人の視線を捉える。頬を火のようにほてらせる“黒のワイン”。ほかの色たちに向かって「否」と言いつつひとり爆裂する“反逆の黒”(後略)と書いている。幸彦の句に、ソニア.リキエルのこの言葉を重ね合わせれば、黒船の黒と強調し、更に寂しさと繋げたイメージの靴が、鮮明に強烈に迫って、見えてくる。この句は、「現代俳句のパノラマ」からり引いた、摂津幸彦の句。
晩春のみどりのつまる魚の腸 喜代子
「指輪物語」(J.R.Rトールキン著)に、水辺の葦や水草、なだらかな丘の緑など様々の美しい緑が印象深く描かれている。心理学的には、緑は大自然とかかわる感覚の色、即ち休息の色だと言われています。喜代子のいう晩春のみどりは、早春の萌黄色と異なり、真夏に向かって深めつつあるみどり。それは指輪物語の妖精の棲む栗林の緑色だろう。さて、この句における魚は、魚そのものだろうか?坪内稔典は「土曜の夜の短い文学」(関西市民書房)の中で、作者自身の感情をイメージ化したものだと書いている。晩春は喜代子にとって休息の時なのであろう。この句は宇多喜代子のの句集から引いた。
黄砂ふる遊びざかりの老夫婦 ユキエ
谷川俊太郎の詩めくりに「砂埃より綿埃のほうがいい/上ってしまった乾電池より/切れた電球のほうがいい/もちろん反対意見にも聞くべきものがある/という建前である」という詩がある。この詩を後に、「すぐに座り込む若者より/元気な老人のほうがいい」と続けたいぐらい、掲句と合わせ詠んで、思わず笑ってしまった。近頃の老人は若者よりずっとはつらつとしている。まさに、遊びざかりなのだ。ユキエは他にも「南吹くいただきものの使い道」など、俳諧味のある句を得意とする。この句は、「船団」54号から引いた延原ユキエの句。
コメント