トルソーの内なる声や鳥雲に 純
トルソーはイタリア語で、人体の躯幹・胴を意味しふつう彫刻では、手・足・頭を欠いたものをさす。それは19世紀以前には、欠けた不完全な形で発掘された古代彫刻や人体部分として存在していたが、19世紀後半からトルソーの美が認識され、その探求のため故意に手足を省略した作品が製作された。彫刻のみならず絵画においても、その作品に魅力を感ずるのは表現されていない部分(省略された部分)を想像する楽しさがあるからだ。純はトルソーに込められた声を聞き取ろうとしている。鳥雲を取り合わせて、奥行きのあるイメージの世界に読者を引き込んでいる。この句は、句集「非望」より引いた、徳弘純の句。
トランペッターの半眼 雲に鳥 宏子
楽器を演奏する際、音楽家は自分を二つに分けないといけないと言う。即ち、演奏に酔う自分と、それを客観的に覚めた目で見る自分。宏子は、それを見事に「半眼」と言葉でトランペッターの姿を言い止めた。先日見た「戦場のピアニスト」で、隠れ家でピアノを見つけ、たまらず音が出せないので鍵盤から手を浮かせて弾くシーンがあったが、確かに目は半眼であった。しかし、音が聞こえたような気がした。この句を詠んで、大好きだった二ニーロッサの「夜明けのトランペット」が思い出された。北国へ帰る鳥たちへの賛歌として、吹き鳴らすトランペットであろうか。雄大で美しい。この句は大阪朝日カルチャーで発表された吉塚宏子の句。
取り忘れたコピーの原稿 鳥雲に 侑子
設計の仕事がらコピー機は、必須の機器。従って、頻繁に利用するのでトラブルや失敗が多い。原稿の取り忘れはしゅっちゅうあり、ピピピと電子音で警告されている。それでも気付かないと、小学生のように、「ゲンコウガアリマス」と文字で機械に教えられる。侑子もこんな失敗をしたのであろう。しかし、それを「鳥雲に」の季語を得て、俳句に昇華させた。取り忘れた原稿が、帰る鳥に群れについて飛び立っていくような錯覚に襲われる。この句は、「梅三分 列島形に稚魚の群」と共に、青玄大阪句会で伊丹三樹彦の特選に選ばれた西村侑子の句。
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