エロスをテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

夜桜を産みたき処女と手を繋ぐ 桂

やたらとライトアップなどして、夜桜もこの頃は、観光化して趣がなくなってきた。嘗てのぼんぼりの薄明かりに照らされる桜の方が好きだ。むしろこの句の場合、灯りのないところに桜だけが、薄ぼんやりと浮かび上がって、後は漆黒の闇だという風景がいい。詩人の坂本越郎は「純潔について」の詩の一説で、夜をこんな風に表現している。この時私に近づいてくれるな/この藍色に燃える美しい光を浴びて/私の思想の果実は熟するのだ/純潔のためになされる/その思想が何になるといふのか/日光の中で甘美に熟する果実が人々を養ふやうに /夜が熟ませる浄い憧憬は私を養ふなだ(後略)。掲句も同様に、夜の持つ何かを産ませるような感覚を、表現したかったのであろう。この句は、林桂の句集「銅の時代」から引いた。

旅鞄膨らむ 受粉期の山河 啓造

春の季語には「鳥の恋」「猫の恋」などがある通り、動物のたちの季節を謳歌する喜びの声で春は満ち溢れる。また、植物も昆虫や鳥の力を借りて、受粉する季節。一方、人間も何故だか、ふと旅に出てみたくなる季節。大勢の旅もそれなりに楽しいものだが、ふらりと趣くままに出る、一人旅の楽しさは格別。掲句の旅も一人旅であろう。いやむしろ旅をしている風景と詠まない方が、いいかも知れない。鞄の中身は、旅に出たいという想いで、いっぱいになって膨らんでいる。目の前の山河が誘っている。自分の中では、出会いを求めて既に、列車に揺られているその旅心が山河を受粉させるのだ。この句「青玄合同句集」11から引いた鈴木啓造の句。

男盛りの五感くすぐる 梅の枝 良之

清楚で気品が高く、早春、百花にさきがけて咲くので、古来詩歌にうたわれている。古代中国から渡来し、万葉時代の貴族たちの風雅の心をつちかった。天平二年正月十三日、太宰師大伴旅人の宅で、梅見の宴を催して一同梅花を歌に詠んだことが、『万葉集』巻五にある。桜と違って当時梅花を賞でることは、大陸風の文人趣味であった。古今集時代では「色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも」(読人しらず)とある通り、心を込めて詠われるようになった(日本大歳時記)。良之も万葉時代の貴族の気分になって、梅を愛でているうちに、恋情を梅の枝にくすぐられたに違いない。この句は「青玄合同句集」11から引いた、小嶋良之の句。