枇杷咲いて太陽電池研究所 稔典
「NHK文化教室は、いわば私の拠点だった。この拠点に集まり、わいわいがやがやと俳句を作り、そして、俳句とは何かを考えた多くの友達に感謝する。今、この教室はもっとも充実しているのだが、そのような充実のさなかにこの教室を閉じることにした。やや気障だが、とてもよい思い出を残すために」という言葉で、稔典教室は閉じ、その合同句集「えすたしおん」も終刊した。さて掲句だが、枇杷の花と太陽電池研究所との取り合わせの、イメージを読者に抛り投げてそれぞれの読みに任している。現実にそんな研究所があるだろうかなんて、野暮な推論はいいのだ。素朴な黄色に群れ咲いた枇杷の花は、研究という根気の要る作業やノーベル賞の田中耕一さんのイメージがダブって見えてくる。
だぶだぶの一日だったほうれん草 恵美子
ほうれん草はアルメニアからイランにかけて自生するといわれ、栽培の起源はペルシャ。日本には江戸時代に渡来したものとみられる。東洋種と西洋種があり、風味は東洋種がまさり、西洋種は茹でるとべたつくので、スープに用いる。この句の「だぶだぶ」というオノマトペだが、ついチャップリンの姿をつい思い出してしまったが、この場合は水分たっぷり吸ったような気分や状態を意味しているのであろう。さて、中七の表現は、作者自身の退屈なだぶだぶの時間のことであろうか?それとも、水分を充分吸って瑞々しいほうれん草の一日のことであろうか?どこか、不思議な雰囲気を醸し出している句。この句「えすたしおん」14(終刊)から引いた小枝恵美子の句。
啓蟄の僧あおあおと栗田口 つとむ
広辞苑によれば、粟田口は京都市東山区の地名で、三条白川橋の東に当り、東海道の京都の入口とある。啓蟄という季語の取り合わせにより、京の入口に佇んでいる僧の姿が鮮やかに浮かんでくる。「あおあお」、「粟田口」のあ音の連続が、句に明るい」リズムを与えている。その「あおあお」は、刷り上げられた頭とも、青年僧の生き生きとした姿ともとれて、清々しい気分の俳句に仕上げられ、口誦性にも優れている。この句は「えすたしおん」14号から合同句集」11から引いた須山つとむの句。
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