近山が唇吸い合うや桃の花 耕衣
澁澤龍彦の「幻想の彼方」を読んだ。ルオノ-ルフィニーからゴヤまで絵の幻想性を解説している。この中に、「トロンプ・ルイユ」の一文に興味を引かれた。トランプ・ルイユとは、遠近法の逆説で、画家が遠近法の限界から突破して発見した、虚の空間のことである。即ち描かれる対象は、画面から飛び出してきたり、あるいは奥行きの底に沈みこんだりする。耕衣のこの句は、「トランプ・ルイユ」さながら、遠景にあるはずの山が自分の眼前に飛び出して来て、唇を吸い合っているような、幻想に捉われたのだ。桃の花の咲く頃は、春霞で、辺りは虚の空間を作り出す要素を孕んでいる。この句は永田耕衣の句集「冷衣」から引いた。
初蝶や口にほり込む昔菓子 宏子
句集「揺れる」が上梓され、早速送って頂いた。帯文に「どれもなんとなくおかしい。冷静に見るとき、そこにおかしさまでも見てしまうのだ、宏子は。言うまでもないだろう、おかしさまで見る目とは、自分を客観化できる目でもある。(後略)」と坪内稔典が書いている。掲句も、初蝶の美しさと昔菓子の俗っぽさを取り合わせている。この発想がなんとなくおかしい。昔菓子ばかりを扱う駄菓子屋のような店がブームになっている。カルメラ、どんぐり飴、いも飴、ラムネ菓子、ニッキ水などの他、昔の玩具も置いてあり、カラフルで楽しい。宏子がぽん菓子などを口に次々ほうり込みながら、テレビなどを見ている姿を想像しただけで楽しくなる。「船団」会員の連宏子の句。
三姉妹の口へ花びら餅ひらく 硝子
花びら餅は円い餅に餡と赤く染めた餅を挟んで、二つ折りにしたもの。また両端からは甘炊きの牛蒡が飛び出している。形も半円形で、何より中の餅がピンク色に透けて見えるのが優雅だ。どうも上品な作りだと思っていたら、平安時代から「菱花びら」という名で、新年に「歯固めの儀式」として食べられていたらしい。こんなルーツを知ってしまえばなお更、この句に登場する三姉妹は、とても上品でおしとやかな美人に思える。止まれ、最後にひらくと表現されているのは、まさか花びら餅の中身を覗いてみたのか?それとも食べるために口をひらいたのか?気になった。この句は「えすたしおん」14号(終刊号)から引いた児玉硝子の句。
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