水をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

愛されずして沖遠く泳ぐなり  湘子

時代は移り変われど、初恋の頃の、あの高揚して胸がドキドキする感覚は変わらないと思う。最初は先生だったりするのだが、にきびも出始めた頃には、異性の特定の人を想い慕い、現実的な恋に落ちる。この句の場合は、愛されずしてと書き出しているのだから、きっと意中の人に告白して恋に破れたのは、それともまだ打ち明けずいるのだろうか。いずれにしても、沖遠く泳ぐという後段の表現が、少年の孤独感を鮮明に捉えている。永田和宏の“あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年〟という好きな短歌があるが、同様の気持ちを表している。この句は20代の頃の藤田湘子の作品を集めた句集「途上」から引いた。

人去ってからの水音 花菖蒲  桑田和子

人間の感じる音の範囲は、動物などの比して極めて狭く、下限は16~20ヘルツ上限は16~20キロヘルツだと言われている。(ヘルツは一秒間の振動数)その音も、空気の密度や温度など状況によって、微妙に感じ方が違ってくる。作者は、いままで人声によって掻き消されていた水音を、無人になった事により独り占めして、耳を傾けている。その眼前には花菖蒲。聴覚から視覚へと転じる詩的な視点が、ズームアップして見え、この花菖蒲の鮮やかな色さえ感じられる。この句は、「青玄俳句現代派秀句」より引いた。

青梅雨のビニール袋ぶるぶるん  良治

梅雨は揚子江流域とわが国独特のものらしい。その梅雨という言葉は、梅の実が黄熟する頃に降る雨だから、こう言われるだが、実は俳句では明治以後から使われるようになった。それ以前の作例はいずれも、「梅の雨」という表現している。青梅雨は、もちろん青葉の頃の雨という言葉の中に、色合いも含めて季語として定着したのであろう。掲句は、その美しい青梅雨という言葉に、ビニール袋という日常的、現代的な言葉を取り合わせた。ぶるぶるんという擬音が、梅雨と響きあって愉快な雰囲気を醸し出している。この句は、坪内稔典氏が笑える句集と表した「ぷらんくとん」から引いた寺田良治氏の句。

 

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