七月の夕風キリンの卵から 稔典
「嘘とは、文学的な用語で言えば虚構(フィクション)。それは、現実とは違うもう一つの世界を作る技法であり、逆にその虚構によって現実がいっそうよくみえもする。つまり嘘があることによって、わたしたちは現実の固定観念や習慣から離れることができる」と氏は著書「坪内稔典の俳句の授業」で書いている。なるほど、掲句はありえないような大嘘(虚構)のキリンの卵を句の中心に据えている。誰しもそんな卵があったらいいなと思うと同時に、どんな卵だかを想像してしまう。そうすれば、七月の夕風が吹いてくるのだ。この句は句集「ぽぽのあたり」(沖積社)より引いた坪内稔典の句。
嘘つくや豆粒程の蚤なりと 麦人
最近「俳句嚢」なる電子句帳(日外アソシエーツ発行)をかった。これがなかなかの優れもので、検索機能でたちまち例句が出てくる。この句も「嘘」の検索で出てきたのだが、自分の句も登録できるので、今この電子句帳に嵌まっている。
この句の嘘は、嘘の結末を教えている。しかも、豆粒程の蚤と現実にありそうな小さな嘘で、作者の真面目な人柄が窺える。その真面目さが、却ってこの句をユーモラスに仕立てている。この句は「俳句嚢」から引いた星野麦人の句。
かき氷 やさしい嘘と向かい合う 紀子
「嘘も方便」という言葉があるように、ときにはやむなく嘘をつかざるを得ない時があるこの俳句に登場する嘘は、嘘に質の上下があるとすれば、最上質な嘘である。
かき氷を挟んで、親しい友人と向き合っている。その会話は、何かに悩んでいる作者を、見え透いた嘘ではなく、いたわる様な、さり気無い嘘で包み込んでいる。「やさしい嘘と向かい合う」と言葉を単純化して、その人を表現したことで、二人の関係の深さや良さが滲み出ている。この句は「青玄合同句集11」から引いた青玄同人、岸上紀子の句。
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