ものの種にぎればいのちひしめけり 草城
句集「花氷」(昭和2年刊)より掲出した日野草城氏の句。物の種は花の種に限らず、春に蒔く野菜や穀物の種を総称していう。種を蒔きやがて芽吹いて、開花、収穫の喜びを得る。太古の住居跡から貝殻などに混じって炭化した赤米が出てくることがよくあるが、古代人にとって厳しい自然環境の中で育てる作物は、生命の根源だったと推測できる。農耕民族の日本人には、ことのほか種に対する思い入れがある。その種をぎゅっと握りしめるという行為は、生命そのものが声を上げそうに思える。その感覚は、病弱で54歳の若さで亡くなった草城を思い合わせば、さらに納得させられる。句集の序文に、「これは私のそのときどきの心の風景である。また心の音楽である。否、風景ではなく場景、音楽ではなくただの雑音であるかも知れないが。・・・・云々」と書いているように、抒情的でモダンな句を多数生み出している。
種袋わが身に根付くけむりとや すず子
男性は種を持ち、女性は体内に子宮という種袋を持っている。これはダーウインの「種の起源」「人類の由来」等の進化論を借りるまでもなく、自然の法則である。最近は少子化が進む一方、今日の新聞紙上に「クローン人間妊娠」等という記事が掲載され、社会問題化しつつある。さて、掲句はそんな現実的なことではなく、種袋(この場合花種)を手に取り、体内にけむりが根付いたのだと、詩的に表現されている。作者の意図するけむりははたしてなんであるのだろう?けむりは、体の中で徐々に広がりながら充満して行き、嬉しい時は明るい色に、悲しい時は暗い色に変容して行く。どこか、エロチックな雰囲気も漂わせる句だ。この句は、青玄合同句集11号から引いた政野すず子氏の句。氏は1959年「青玄新人賞」、1974年に「青玄賞」、1993年に「青玄評論賞」を得ている。
種をまく五月はワッフル太る頃 健治
ワッフルは小麦粉に卵、砂糖、牛乳を混ぜ合わせ、焼き上げたものだが、あの焼いている時の甘ったるい香りに、思わず買って帰たくなってしまう。稲の種を苗代に蒔くのは八十八夜の頃と言われている。(陽暦では5月1日、2日頃)五月の陽光の中、蒔いた種がふくらんで、発芽する。ふっくらとふくらんだワッフルもまた、明るくてうきうきする気分。種とワッフルとを巧みに取り合わせて、句に仕立て上げられている。この句は句集「歩く魚」(1994年刊)から引いた、船団会員の南村健治氏の句。この句集には「ぴろぴろは春の耳からこぼれだす」などの肩の凝らない楽しい句がある。
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