無季をテーマにした俳句・その2(厳選三句)

sanku

沖に/父あり/日に一度/沖に日は落ち  重信

この句は、九州の天草を詠んだいる。茫漠と広がる海を見て、その沖に父の姿を据え、更に天草の沖を真っ赤に染める落日を重ねている。それは、天草の西南に日本人の祖先が渡って来たであろう地を思い描いている。同様の趣旨の句に「沖に/喚ぶ神あり/卑弥呼/病めりけり」がある。「俳句を選択した動機の中に含まれている半ば無意識に似た敗北主義こそ、逆にさかのぼって俳句の性格を決定する重要な要素」(「バベルの塔」1974刊)と提言する重信の基本的な俳句観。この句は、高柳重信の「山海集」(1976年刊)より引いた。

落書きの鳥四本足 飛行雲  幸子

最近の新聞紙上を賑わせている、原爆ドーム周辺の壁や電車にペイントで書かれた大掛かりで悪質な落書きではなく、子供の他愛無い落書きだろう。字空けを施して、季語ではないが飛行雲という言葉を配すると、もっと幻想的な太古の人たちの落書きを想像してしまう。フランスにあるラスコー洞窟に描かれた鳥人間や棒の上の鳥の絵を思い浮かべたら、どうだろう。一万6千万年前までタイムスリップして、心うきうきしてくるではないか。この句は、青玄無監査同人、平井幸子氏の「青玄合同句集11」に掲載された句より引いた。1983年に青玄賞を受賞している。

にんべんの文字が好き 人はもっと好き  恭子

人という字は、人が立っている姿を横から見た形を表した字であるが、改めて人偏の字を調べてみると、その成り立ちは実に上手く出来ていて、面白い。たとえば、「化」という字は人という字と人をひっくり返した形を合わせて、立っている人がたおれて、姿を変える様子を表しているという。作者は、そんな人偏の字が人間くさい思考から作られているのを、面白がっているのだろうか。さらに、人はもっと好きだと断定している所に、作者の人となりが、見え、まさに人間賛歌の俳句といえるだろう。この句は、「青玄合同句集10」より引いた青玄同人、児玉恭子氏の句。

 

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