初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉
この句は芭蕉の有名な句のひとつだが、非常に珍しい助詞の使い方をしている。本来ならば、「小蓑が欲しげなり」というところを、「小蓑を欲しげなり」と書いている。極めて現代的な表現をしている。いまなら、「パソコンが欲しい」と言わず、「パソコンを欲しい」と目的語をいう助詞を「が」から「を」にして、使っているのでなんら違和感がない。金田一春彦は同時代の文豪近松も「太兵衛より先、うぬを踏みたい」という言い方をしていると、指摘している。芭蕉や近松は言葉の自在性で、やはり時代を超えていたのかもしれない。この句は松尾芭蕉の句。
麻殻や堅木の手棒鷹すゑて 作者不明
「おもきころきは恋にこそあれ」の付句である。「恋」(こひ)を「木居」(こゐ)と読み違えて作句している。「木居」は狩の際、鷹を止まらせる木のこと。ここで言う、手棒も同様。付け句の作者は、「おもきころきは恋にこそあれ」を謎かけ遊びのように感じとっての答えだったのだろう。鷹を止まらせることなんて、重い、軽いは言わず知れたことと問いに応じた。この句は、こんな笑える付合を集めた「錯睡笑」から引いた。この「錯睡笑」の著者は、安楽庵策伝である。策伝は、慶長十八(1613)年、六十才で京都性が誓願五十五世法王になり、退任後誓願寺に、竹林院を創立し、院の一室を安楽庵と称して、風流三昧に過ごした。
死にたれば人来て大根煮きはじむ 槐太
現代における謎の句は大別して、二相の意味がある。江戸期における、貞門の聞句のように、思惟すれば理解できる句、謎解きの句。他は、マラルメの提出した「謎」のように、世界観をひきはがすことによって、宇宙観に達する謎である。(現代俳句ハンドブックより)この句は、国文学臨時増刊号の俳句の謎に採り上げられている。普通に読めば、町内で誰かが死ねば、通夜の精進料理として、ご近所の人が集まって大根を炊く風景と思える。当然死者は町内の誰か。しかし、別解として、死者は作者自身と捉える。そうすれば、作者自身が死後の世界を想像している、なんとも不思議な句。この句は、「下村槐太全句集」より引いた。
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