波音が月光の音一人旅 稔典
大勢で行く旅も、それなりに楽しいが、景色を見るにもどこか情感にかける。その点、一人旅はいい。それが失恋の傷心旅行だったりすれば、触れるもの、見るものが一変して、感覚が鋭くなる。掲句の一人旅はどんな状況で行ったのかは、解らないが海岸を歩いていて、聞こえる波音が、まるで月光の音のように思えたと表している。音の無いはずの月光が、涼やかな音を持っているという比喩には、納得させられる。降り注ぐ月光とその海岸の美しい景色まで、目の前に浮かんでくる。この句は、句集「月光の音」から引いた坪内稔典の句。
月光に招かれるのはメヒシバです 恵美子
「メヒシバ」は稲科の野草で、ごく普通に道端に生えている一年草。高さは40~70センチぐらいで、花序は放射状に手の指のような形を持つ。花序の太いのは「オヒシバ」。月光の下、メヒシバが風で揺れている様は、まるで月を恋うて、手招きしているようだ。恵美子は、何処にでも生えていて見向きもされない「メヒシバ」に、生命感を与えた。メヒシバが招くのではなく、月光が招くのだと逆説的に、「のは」という言葉で断定して、詩情を与えた。「メヒシバ」をもう一度、じっくり見たくなった。この句は、句集「ポケット」から引いた小枝恵美子の句。
文鎮の蟹は月夜に歩きだす 宏子
文鎮は、石や金属など様々な素材で作られている。掲句の文鎮は、鋳鉄製の重々しいものだと思う。ともあれ、人工製の無機質な文鎮が、月光を浴びて歩きだすのだと幻想的な風景を描き出した。わが国の古典神話にツキヨミノミコト(アマテラスオオミカミの弟)が月の神として、崇拝されていた。また、月に対して、植物の豊饒や子種の授与を祈る祭りが、新月や満月に関連して行われた神事が、今も残っている。今夜あたり月光の下、どんなものが、蠢いているか想像するだけでも楽しい。この句は第61回青玄ネット句会の吉塚宏子の句。