五月闇水鬼あまたが透明に 稔典
鬼のたちの風景と題して、この句の他「霰散る天鬼と天鬼もみあって」「跳梁の火鬼の数頭桜の夜」「十二月鈍鬼というがぞろぞろと」など20句が、句集「月光の音」に書かれいる。馬場あき子は「鬼の研究」の中で、鬼を何種類かに分類している。掲句の鬼は、「変身譚系」に分類された鬼であろう。五月闇の陰鬱とした水分に満ちた暗がりには、形を変えて水鬼(すいき)が棲んでいてもおかしくない。でもこの鬼は、すいき(水鬼)という音律と「透明に」という言葉を受けて少しもどろどろした、恐ろしさは無く、むしろ清涼感さえある。この句は、坪内稔典の句。
形而上学二匹の蛇が錆はじむ 奈菜
広辞苑によれば、形而上学とは「現象を超越し、またはその背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、絶対存在を純粋思惟により或いは探求しようとする学問。神・世界・霊魂などがその主要問題」とある。この句の形而上学は、二匹の蛇と断定したことは、旧約聖書で神が、人間をはじめ全てのものをペアで創造したとあることから、キリスト教的形而上学だと、捉えられる。造り出された蛇が錆はじめると表現したのは,奈菜自身のいまの存在を反問しているのかもしれない。この句は、「現代の俳句パノラマ」から引いた、鳴戸奈菜の句。
絶対値の春ぞ 会いたいひとに会う 砂代里
4月16日の神戸新聞の「気鋭の肖像」のコーナーで俳人・歌人・エッセイストとして砂代里は紹介された。俳句ばかりではなく、「いちじくはゆっくりカッと割りなさいきのうのわたしを割ったるように」など短歌にも、才を発揮している。紙面のインタビューで、「三角形の角は、それぞれとがって痛いけれど、足せば180度。水平な一本の線と同じになる。それもまた美しい形じゃないかしら」と答えるほど、砂代里は言葉にこだわっている。掲句も絶対値という言葉に、俳句の風景を委ねている。絶対値の春とは、暑さ(プラス)、と寒さ(マイナス)の分岐点(実数)と捉え、会いたい人に会うと心情的な風景に転化している。この句は青玄569号より引いた、山口砂代里の句。