人殺す我かも知らず飛ぶ蛍 普羅
「人殺す」とはぶっそうな書き出しである。二十九歳の時の作で、その活動した時代は、戦争という不幸なうねりの真っ只中だったことを思えば、少し納得できる。虚子が「石鼎の句は春の如く夏野如く、普羅の句は、秋の如く冬の如し」と表したように、氏は簡素な表現を以て、自分の置かれたいる時代環境を、自己凝視している。その心象の背景に蛍という、美しく儚い生命をモンタージュとして据えている。この句は、鬼城、石鼎らと虚子門四天王と呼ばれた前田普羅の「定本普羅句集」より引いた。
しなやかにわたしを脱いで 半夏生 憲香
半夏生は夏至の第三候にあたり、夏至から数えて十一日目。この頃は、農事に関する風習が様々ある。たとえば、この日は野菜を食べず、竹林に入らず、などの物忌みをしたり、農凶を占ったりしたらしい。こんな禁忌の日だからこそ、自分に纏わりついた過去のいやな思いを一掃したい気分に、誰しもなる。わたくしを脱ぐという省略された表現が、心地よい。またこの半夏生を時候のそれではなく、半夏生草(ドクダミ科の多年草)と、とっても面白い。この句は青玄合同句集11から引いた中村憲香の句。
わたくしの純度濃くなる 墨をする 砂代里
金属や液体なら純度は容易に、数字で計り示すことが出来るが、人間の心の純度はどうして表せばいいのだろう。「あの人は、純粋な人だ」などという表現があるが、何を尺度にそう言っているのだろうか?たしかに、ふっとした心の緩みや行為で、濁ったように思える時がある。純度の究極は白とすれば、無垢の心で、墨を磨り続けてことが(何かに集中する)自分の純度を上げる手段なり得るかも知れない。
この句は青玄合同句集11から引いた山口砂代里の句。
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