恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (鷹女)」の句を持ち出すまでもなく、紅葉の真っ赤に燃える様は、恋情そのものイメージさせる。この句は、恋とも違うと、岸辺に立つ二人の関係を否定している。しかしながら、その否定する心の抑制が、紅葉の赤が高揚させるような予感がある。ドラマチックな仕立てに思えるのは、「岸をともにして」と「て」という助詞で終わらせているのが、その後の恋の行方を暗示させている。この句は、句集「八頭」から引いた飯島晴子の句。
黄落や黄に黄をかさね黄をかさね 達夫
黄色という色は、赤と白のような対立と緊張を保つ色になりにくく、他の色とペアを組みにくい色で、その意味で「孤高の色」だと、山折哲雄が「色のことば」(銀座 和光偏)で述べている。黄落の中でも、銀杏のそれがいちばん美しく、日の光を浴びると黄金色にも変色する。この句の黄という言葉のリフレインが、ひらひらと止めなく散る銀杏の情景描き出している。この句は嘗て、愛読した「平凡パンチ」の元編集長だった清水達夫の句集「ネクタイ」から引いた。
雀の木鵯の木椋の木 私の木 淳子
鳥にもそれぞれの生態に応じて、好みの木があるらしい。雀は竹林などを雀の宿などと呼び、柳田国男の「野草雑記・野鳥雑記」にも、その生態が書かれている。また椋鳥は、椋の木が好きで、その名がついたと言われているほどである。
作者の「私の木」とはどんな空間だろうか?自ら住む家そのものとも、家の中のほっと出来る場所かもしれない。あるいは、馴染みのコーヒー店の決まった席であってもいい。この句は「青玄合同句集11」より引いた、青玄無鑑査同人、岡崎淳子の句。
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