新年をテーマにした俳句(厳選三句)

sanku

数の子に老いの歯茎を鳴らしけり 虚子

数の子は、お節料理の一つとして欠かせないものとなっている。それは、ニシンの卵であるが、数の子と書くところから子孫繁栄の意味を込めておめでたいとされている。しかし、この言葉の正しい語源は、「カドノコであって、カドとはニシンのこと」、と金田一春彦は、「ことばの歳時記」の中で書いている。ともあれ、数の子は噛んだ時のあの独特のシャキシャキした歯ごたえが良い。虚子もその歯ごたえを愛で、口中に広がる音を歯茎が鳴らしていると、面白い視点での捉え方をしている。この句は、高浜虚子の句集より引いた。

弥生期も平成期も知る 稲雀  三樹彦

雀は、いつ頃から現在のように人里に多く見られるようになったのかは定かではないが、源氏物語の五巻「若紫」に、侍女が雀の子を逃がしたのを悲しがる幼き頃の紫の君の話がある。また、北原白秋も、「舌切り雀」「雀のお宿」、歌集「雀の卵」、詩文集「雀の生活」等、雀をテーマにした歌や歌集が多い。雀と稲作との関係は、その生態から容易に推測できる。でも眼前の雀が弥生時代を知っていると、遠く古代にロマンを馳せることは、詩人の特権である。この句は「俳句研究」1月号の新年を詠むより引いた伊丹三樹彦の句。

初夢のなかをどんなに走つたやら 晴子

初夢と言うのは、ずっと大晦日の夜見る夢。即ち、元旦の朝、昨夜の夢の事を思っているのだと誤解していた。正確には一月一日に見る夢のことだったとは、恥ずかしい限りだ。さて、晴子は初夢の中を走ると詠んだ。さて、どういうことだろう?走るという行為は、何かに追いかけられて走る。何かを追って走る。何かの目標に向かって走る。など様々に読み取れる。初夢なのだから、きっと自ら掲げた夢に向かって走っている前向きな姿として、捉えたい。この句は、「俳句研究」1月号より引いた、飯島晴子の句。

 

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